毎度のことだけど、NHKへの愚痴です。
たまたまテレビをつけると「世界街歩き」という番組があって、モスクワを歩いていた。しかし、少し郊外へ行きましょうということで、マトリョーシカ博物館がある、セルギエフ・ポサードへ行きましょうということでバスに乗った。すると見事な教会群が見えてくる。
レポーターさんというか、カメラの人は、その修道院の前に行って、女の人が実際のマトリョーシカのように髪を覆っているのを見て、そのことを言うと、女性たちは「ここではこうしないといけません」「ここは聖地なんですよ」という。
そして目的の博物館では、マトリョーシカを作っているという美しく謙虚ないでたちの女性が、工房へ案内しましょうという。彼女は解説を始める。ここは聖地なので巡礼者がやってくる。その巡礼者たちは土産物を求める。それでこの地でマトリョーシカが誕生したのだ。マトリョーシカは謙虚で立派なロシア女性を表したものなのだ、みたいなことを説明してくれる。
自分も確かに偉そうなことは言えない。ロシアの父と言われる聖セルギイの至聖三者聖堂・セルギイ修道院はモスクワ郊外にあるとは聞いていたものの、どこにあるのかは正確には知らなかったし、ましてそれとマトリョーシカが関係しているとは思ってもみなかったのだから。このセルギエフ・ポサードがそのロシアの魂の地だったのです。
で、結論はそういうことなのだけれど、考えてみると、これは日本でいえば「なんかよくわからないが高野山というところでいい土産物があるらしいから行ってみましょう」的な感じのことが起こっているということです。
あるいは、アッシジのフランチェスコを知らずに、ジョットーの絵だけ見にアッシジに行く、みたいな感じのことです。
多分ロシア人にとって聖セルギイの位置づけはイタリアのフランチェスコや日本の空海より大きい。彼が生きた正教の精神性がロシアを支え、当時行われていたモンゴルの支配から独立する力を与えた。フランチェスコや空海が突出した宗教家・聖者だったと認めるにしても、イタリアや日本はすでに国として、地域として一定の地位を持っていた。高野山が如何に高名な仏教の聖地であるにしても、ほかにも永平寺だってあるし比叡山延暦寺だってある。善光寺だってあるし、お寺だけじゃなくて伊勢神宮だとか出雲大社だとか、いろいろある。だけど、聖セルギイ修道院は、多分そうした寺院をみな集めたぐらいの信望をロシア人から受けていると思う。
それで、やっぱりそれって失礼じゃないか。
確かに一人で旅行をすると、ものすごく大事なことを何も知らずに行くということはある。だけど、ロシアの町へ行くのに、「ああ、ここがセルギイの聖地なのですね」ぐらいのことは知っていないといけないと思うんです。