正月何を見るか、とかここのブログでもやり取りしちゃったので、一応白状しておきます。「君の名は。」見ました。
これだけ話題になっていて、一応見ないと、始まらないと思いましたもので・・・
画面はきれいですよ。描写も美しい。漫画でここまでできるものなんだ、と思いますね。景色とか、光と影の描写とかもきれいだし、人物のしぐさとかそういうのもものすごくリアリティがあります。
奥寺先輩、色っぽい!全然本題と違うけど。しかし、実は最後の字幕を見て声優が長澤まさみさんだったと知りました!まさみちゃん、すごーい!
後は批判です。すみません。批判の嫌な人、ネタバレ嫌な人は、ご覧にならないでください。
随所に人を引き付ける材料がちりばめられているというのは、思います。
ある日夢の中で同い年の男の子と入れ替わっている。それだけですごい。しかし、その当の主人公は過疎地の神社の跡取りで、独特の伝統を受け継ぐ女性、そしてその町の町長の娘です。
行けば夢の中で会っている相手に会えるはず、会えば必ずわかるはず、と思って出かけた主人公の男女はそれぞれ苦い失望を味わう・・・というのも入れ替わっていたのが3年ずれていたから。
そして、この女性のほうの町を訪ねた男性は、その女性の町が三年前に流星の墜落で滅んでおり、彼女も死んでいたことを見出す。ところが、この男性はそれを追求して、またその女性の体の中に入ったり時空を超えて女性に会ったりして、その二人と友人たちのハチャメチャな努力によってその隕石の墜落から町民を救う。女の子は死んだはずじゃなかったの?なんかここで変なことが起こって、結局彼女も死んでいない。
そして、しばらく双方を見失ったけど、最後には東京の街の中で双方が出会って、「あんたの名前なんやったっけ?」みたいなラストです。
その夢の中の入れ替わり、大災害の予見と避難、神社の不可思議なしきたりやご神体、運命の糸、どれをとってもそこに何らかの人を引き付ける要素があるといえばある。
ところが、物語としてややこしすぎるんですよ。
自分はこんなブログをやってるし、夢のようなものに対しては、それなりのリアリティを求めます。異次元に入り込む、その時の日常生活とのかかわりは、ただならぬものがあるべきと思います。
三年の時空を超えて夢の中で会って滅亡の運命を変えて、そこまでの不思議をした上で、東京でまた逢うか?それ、無理があるでしょう・・・そこであったら、一緒にカフェに行ったりベッドに入ったりしちゃうでしょ。そのときに、「あのときは3年ずれてたから・・・高校の校庭に避難誘導するときに・・・」みたいな確認が日常生活の中で行われてしまうことになる。それおかしいんじゃない?
最後東京で逢う、男女の運命を描いた物語であるのなら、奇蹟的な何かは最小限にすべきだし、もし奇蹟的な何か、夢の中、異次元の世界を扱うなら、最後は日常空間で相手に会っちゃダメだと思う。
思うに、いい物語、いい詩、いい映画、なんでもいいけどいい作品というのは単純な感情、単純なテーマの上に構築されていないといけない。
夢の中で入れ替わる。ミステリー。ファンタジー。不思議。もしそれに対する感情で話が進むのであれば、最後に東京で逢っちゃダメでしょ。
一方で恋愛で進むのであれば、ミステリーやファンタジーがあっちゃダメだとは言わないけど、それは「ああっ、ひょっとしたらそんなことがありそう」と思える範囲にしておかなきゃ。
だから・・・見た人の多くは、多分消化不良になるだろうと思う。実際Yahoo映画の評価を見ても、絶賛している人は絶賛しているんだけど、批判している人は、自分がどこに軸足を置いてこの物語を見ていいのか迷っている感じです。そういう意味では、たとえば千と千尋の神隠しなんかと比べられる映画ではありません。
この話はこの辺にしておきます。きれいな漫画だから、見てもいいけど、見ないなら見ないということで決め込んだとしても、それはそれで別に損する漫画ではないと思います。