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言葉の力

先日、「水からの伝言」の記事を書いた。コメントを頂いたりして、記事にしようかなと思ったものの、いろいろな要素がありすぎて、どこからまとめていいのか。だから、いろいろな考える材料をあげてみようと思う。

 

言葉を発するだけで、ただならぬことが起きる、ということがまず重要なことである。言葉を聞いて、人間が反応するのは言葉を理解するからだ。犬は?犬も理解はするが微妙だ。そして問題は水とか無機物まで影響されるのかということ。

水のような物質が変わる、という例は、たとえば教会でいうとご聖水とかご聖体のような例につながる。ここで腐敗の問題が出てくる。腐敗しない水とか腐敗する水とか、そういう区別があるのか?そう、溶解しているものによって違うということは当然あるだろうが、あたかも溶解しているものが影響しているかのように、言葉をかけたり人間が儀式をしたりするだけで変わるものがある。

自分はよく知らないけど、ホ・オポノポノなどというものもある。感謝の言葉などを口にして、自分の感情的な問題を解決するやり方だが、日向に置いた青い瓶の中の水を飲むとありがとうを口にしたのと同じ効果があるとか何とかということが言われている。

さらには、キリストの行った奇跡のようなものがある。今でも熱心なキリスト教の方がそういうことをすることがある。つまり、「治れ」というと病気が治ったりする。風を叱って止める力のある人がいるのかどうか自分は知らないけど、そういうことがさらに難しい問題としてある。

 

原因についても、ある程度の仮定がいると思う。

仮に水に「ありがとう」と言って、きれいな結晶が実際にできたとする。事実が確認できたとしても、どの部分がその重要な部分なのか。たとえばThank you.といってもmerciと言っても謝謝と言っても同じようにできるのか。例えば差があるのだろうか。Thank youだと80%でありがとうだと75%とか(数値は適当ですよ)。

つまり、言葉の音が大事なのだろうか。

音が大事なのかもしれない、という考え方はそれはそれで存在する。たとえば真言がそうである。あるいは、ギリシャ語のような言葉はあるいはそういうことを意識して構成されたのではないか、と考えられる点がいろいろある。

 

それとも言葉を発するということによって、その言葉とともに我々の意図というか何らかの意思が発せられて、それが影響するのだろうか。

キリスト教でいうἐξομολόγησις、告白すること、信仰宣言すること、この隠れた自分の感情や考えを言葉をもって顕わに表明すること、それは我々の何かの力を導き出す。それによって、我々が決定的に変わることもあるし、人に決定的に影響を与えることもある。そして、そうした何かの意図が、人や動物といった枠を超えて働きうる、と考えるのはどうだろうか。その場合には測定しきれない何か漠然としたものを我々は相手にすることになる。

 

というようなことで、それは一つ一つを取り上げてまとめてみると、これはこれで結構な材料なのです。

でも、まとめることは必要なのだと思う。それを自分で書くとか、いうとかしてまとめれば、次の瞬間にはその言葉がその人の人生になる。その人は納得する。変化が起きる。そうだよね。

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