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方言を喜んでる場合ではない (1)

なんというか・・・ロシア語も何年か勉強した。なかなか上手にはならないが、それでも自分の世界は一つ広がった。ギリシャ語も、ちょっと進歩したと思う。今は、インターネットでニュースを聞いても大体わかる。

いま、いろいろ評価できる部分がある。

古典のギリシャ語はとても複雑に変化する。現代語はずっと簡略化されている。古い言葉では主格(~は)と対格(~を)が区別されるようなケースでも、現代語では同じ場合も多い。つまり、古典語では「復活がἀνάστασις」というのと「復活をἀνάστασιν」というのは単語を聞いただけで直ちにわかるわけだが、現代語(ανάσταση)ではそれを語順や前置詞やほかの言い回しで判断しなければならないケースが増えたということ。

しかし、ロシア語はいまだにそうした活用が複雑に残っている。複雑に活用が残っている分、言い回しの数は少ない、と思う。前置詞はあるし、覚えるのは大変だが、すごくたくさんの言い回しがなくても、その言葉の変化でそれを理解できる。たとえば受動態の行為者は造格で表す、みたいなこと。英語でいうbyのような前置詞はなくて良い。

英語にはそうした変化がほとんどない。動詞の過去形と現在・過去分詞、三人称単数現在のS、複数形のSぐらいしかない。格変化はない。STOPという言葉は様々に受け取られる。場所を表す名詞かもしれない。動詞かもしれない。言葉を使う人は全部を聞いてから、その構成によってそのSTOPが動詞なのか名詞なのかを判断する。

 

この結果、ギリシャ語やロシア語には、言葉遊びをできる余地が少ない。同音異義語はあまりない。クロスワードパズルをしようにも、格変化によって語尾が似たものになることが多いため、終わりの辺のマスはみな似たものになってしまう。しかし、言葉によって伝えられるものは大きい。わずか30前後の文字で表現できる言葉によって、すべての微妙なニュアンスを表現できる。そしてそれは喋るための言葉なのだ。

 

日本語は?格変化にあたるものは助詞を使うわけだが、単語はいかようにも当てはめられる。その結果外来語などによって次々言葉が増えて行ってしまう。これは英語にもある程度当てはまる傾向だ。

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