小学校のころ、学校で推奨され販売されていた学研の「科学」の付録はなかなかいいものがついていた。
ある時、双眼鏡、正確に言うとオペラグラスが付録だったことがあった。白いプラスチックのボディで、青いプラスチックのレンズ部分が取り外しができるようになっている。レンズの部分は取り外してそれだけ重ねることもでき、そうすると便利な虫メガネに早変わり、というわけです。
さて、どのようにしてそうしようとしたのか、はっきりとは覚えていないが、その取り外しができるレンズで、なぜか望遠鏡を作ろうと私は思った。
考え方というのはこうです。
まず、度の薄いレンズで何かに像を映す。凸レンズで焦点を合わせると、向こう側の像が映りますよね。ただ、上下左右は反転しています。そして、これはレンズの度が緩いほうが、大きな像を映すことができるのです。
そしてその映った像を度の強いレンズで拡大すれば望遠鏡になるのではないか?
その時、私たち兄弟の勉強机は暗い部屋にあり、ガラス戸に面していた。中庭があり、その向こうに小川があり、道路があり、田んぼがあって、向いの山というか丘の上に民家が見えている。こちらの部屋は暗いから、レンズを構えて白い紙などを置けば、向いの民家が紙に映るわけだ。
しかし、その映った像を拡大しないといけないわけだ。紙だと斜めになるし、写像が左右反対になるだろう。
そこで、いろいろ考えて私は氷菓、たとえば宇治金時みたいなカップの底の半透明のところを使えばいいのではないかと思った。
30cmの竹定規に対物レンズ、つまり度の薄いレンズを固定し、アイスのカップと接眼レンズ、つまり度の強いレンズを手で何とか支えて、その拡大された向いの民家の像を見ようというわけです。
この3セットを両手でもってなんとか像が映る状況をつくろうとしていたわけだけれど、ここはちゃんとした望遠鏡を工作したわけでも何でもなく、試行錯誤の段階ですから、手でそれぞれを支えるのが大変で、何かの拍子に宇治金時のカップを一旦おろして調整しようとした。
ところが・・・宇治金時のカップがなくても、向いの民家がはっきりレンズ越しに拡大されて見えているではないか!
あっ、そういうことか。このカップはなくても像が拡大されて映る。これが望遠鏡・・・ケプラー式望遠鏡というのだけれど・・・その拡大される理屈なんだ、ということを私は発見した。
この後それぞれのバラバラのレンズが買いたいと思ったのだけれど、親や周囲は私が何を興奮しているのかはわからなかったようだ。彼らは天体望遠鏡のちゃんとしたやつが欲しいのか?みたいなことを言っていた。
いずれにしても、自分で発見するというのはとても大事だ。誰が褒めてくれるわけでもないんだけれど。
すごい・・・。賢いお子様。
私は断然「学習」派でした。
世界の偉人の業績について書かれた別冊とか、ことわざ辞典とか、そういうのにこころが震えた記憶が笑
3年生の時だけ、なぜか両方取ってもらったんですよね。4年生になったら妹が1年生になったから、また1冊に戻されちゃいましたけど。
でも子供にとってすごく良い学習教材でしたよね。学研はどこで進研ゼミのベネッセに抜かされたんでしょう。
あめさん、こんにちわ。
なにか、まとまらない記事を書いてしまいました。あんまり褒めないでください。
そうですね、じぶんのときも多分5年生から学習に変わったような気がしています。
以前は学校がそういうのの販売の取りまとめをしていました。田舎でもあり、一人一人が書店に行って買うというのが難しいと考えたのか、それとも書店の陰謀だったのか。
推薦図書の販売などというのも行われました。あのとき買ったNHKの「未来への遺産」の取材記録が、自分にとってのその後の人生には大きな影響があったかもしれません。