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殺す

ロシア語を教えていただいた方、ロシアの方なのだけれど、いわゆる民族的なロシア人ではなくて、地方の少数民族で、親の言語もロシア語でなければ、宗教も土着の宗教、見かけはほぼ日本人と同じ、みたいな方がおられる。

ある時に話をしていると、この方の生まれ育った地域では、「羊を殺せないのは男ではない」のだそうで、肉を食うのは当たり前、羊は殺して捌いて当たり前、なのだそうだ。

 

少し前にある人がイカをしめるやり方を動画に投稿したところ、残酷だとコメントが集まったという。しかし、その動画投稿者は新鮮にイカを食べるにはこのやり方で殺さなくてはならないのだ、自分が食べているものにもう少し興味を持ったらどうか、とコメントした。

 

雲南市のコウノトリの誤射事件の時も思った。誰かが殺すという仕事に手を染めてくれている。

 

そういうことがいろいろ最近あるんです。

近くで猫好きの人がいて、半分野良みたいなネコに餌をやっている。家の中で飼っていないわけです。そうするといくらでも餌があると思うからネコはいくらでも子供を作る。それで近所で文句を言う人が出てきた。私の母もものすごく嫌っている。自分は・・・それほどでもないんです。そんなに嫌いじゃないし、ネズミが出ないからいいんじゃないかと思ったりする。

しかしまあ、そんなこんなでネコが増えすぎたらどうしたらいいかということで調べてみたのですが、今は動物愛護法があって、ネコを殺したり捕獲したりするのは罰金・懲役刑の対象になる。シカやイノシシのように農作物に害をなすという場合は駆除ということもあるが、ネコについてはそういう害はない。一応市のほうで家の中で飼うように指導することはできるが、事実上猫については手の付けようがない状況なのだそうです。

 

実は「生き物を殺す」ということは、生きていくうえで誰かがしないといけない大事なことなのではないかと最近思うんです。自分はそのいわば汚い部分を人にやってもらっている。みんな、あまりそういう場面を目にしたことがない。

ペット、動物愛護というのは、そういういわば汚い部分に敢えて目をつぶって、いわばきれいなところだけすくい取っているのではないか。
犬や猫を殺してはいけない、と主張している人は、その犬や猫を大事にしながら、生きるためにほかの動物を育てて、屠殺することを行いながら、同時に無限に犬や猫を愛することができるだろうか。
できるのかもしれない。できるかもしれないが、それでもその場合の犬・猫との信頼関係は、今とは違うものになるのではないか。

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