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「こころ」と「たましい」 (2)

自分は「たましい」乃至「プシヒー」というのは、ざっくりいうと、「感情で出来た、心臓に感じる自分」みたいなものと理解している。

他人のことはわからないが、自分は子供のころ頭でっかちな人間だったと思う。そして、通常自分というものを頭の周り、目の周辺に感じている。たぶん多くの人も目の周り、頭に自分を感じているのではないだろうか。だが、自分が神秘的なこと・宗教的なこと・神のこととかかわりあうようになって、時折自分を胸に感じることがあるようになった。

同時に、たましいというのはある意味元々あるのだが、ある意味獲得されるものだとも考えている。占星術はたましいに関係している。その感情、気持ちというのは元々のその人自身である。頭に浮かぶもろもろの考えというのは、その都度の偶然や外部からの影響のようなものにふわふわと左右される。そして、そのふわふわした在り方が、普通の人間の在り方である。ある人はもともとその人自身として生まれてくる。にも拘らず「私である」ということは努力して獲得されるべきものなのだ。

キリスト教の教え、というようなものは、たましいで受け取られて初めて意味を持つ。頭で信じることはできない。頭で愛することはできない。信じること、愛することは、感情の問題であり、感情を持った自己の問題である。

また、夢は通常の理性にとって意味のあるものではない。夢もまたたましいの側の問題である。

同じ、たとえば文学、詩のようなものがあったとして、頭の良し悪しでその詩を判断することはできるだろう。頭のいい人はきっとその詩を取り上げた大学の入学試験でいい点を取るだろう。しかし、たましいがあるかないかで、本当の意味は全然変わってくる。


さて、καρδία(カルディア)もψυχή(プシヒー)と近い文脈で使われる言葉です。だけど、καρδίαは実際の臓器としての心臓を指す言葉である。この事情は漢字の「心」や英語の「heart」と同じだと考えられる。
あなたが誰かを愛するときに、心臓・胸にその愛を感じるだろう。簡単な例で恋というようなものは頭でするものではないし、自分の考えでは下半身でするようなものでもない。しかし、それを感じるのは心臓だったとしても、それを行う実体として、ギリシャ語ではつねに「たましい」というものが意識されているわけです。

psyche

それで、その言語的な対応を考えてみた。

ギリシャ語 直訳 英語 日本語
ψυχή (psyche) たましい soul こころ
καρδία (cardia) 心臓 heart こころ
μυαλό (myalo) mind こころ

多分、英語でもsoulという言葉は日常生活ではあまり使われないと自分は理解している。ギリシャ人がψυχήという文脈の多くで、heartが使われると思うのです。(当方浅学にして異論がある方もあるかもしれません。すみません。)

しかし、日本語の日常会話では、これらすべてが「こころ」という単語で表現される。

だけど、それこそアニメの世界とかファンタジーでは、「こころ」などという漠然とした言葉では表しきれない概念がある。ギリシャ人がいうところのψυχήに該当する箇所で「こころ」という言葉を使っている場合が、かなりあると思うのです。(まだ多分続く)

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