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左翼とキリスト教

なんで日本ではキリスト教と左翼が重なるんだろう。自分が学生のころから共産党で左翼の人とかを多く見かけた。反戦運動をやっているとか、差別に対するどうこうとかで、大体キリスト教と左翼の人は一緒にいる。

 

NHKは最近やたらキリスト教をヨイショしている。花子とアンにも教会のシーンが出てきた。黒田官兵衛の洗礼も取り上げたし、荒木村重の妻がオラショを歌いながら処刑されるところも放映された。この前の八重の桜はもちろん同志社大学の創設にかかわることだった。

国民の10%にも満たない宗教集団が、それを日曜日のゴールデンタイムに何か偉いことのように放映するというのは・・・私がこんなことを言っちゃいけないか・・・すごく違和感はあるのです。そしてそれは要するに戦争につかれた八重さんやら官兵衛さんやらが救いを求めて、ということです。個人がそうであるのは別によろしい。しかし、キリスト教ぐらい血なまぐさい戦争をやってきた宗教はないでしょう。中南米やフィリピンはキリスト教の宣教師とともに列強の植民地支配がやってきた。日本もそうなった可能性は十分ある。それを殊更に国民向け番組にその部分を美化する必要があるのか?

どうやらこれもNHKお得意の反日共産主義的なものと同じようなにおいがする。

 

自分の場合はいろいろプロテスタントの信者さんを知ってはいたけど、自分自身は最初に正教会にいった。

そうすると必ず「我が国の天皇および国をつかさどるもののために主に祈らん」「願わくは主・神はその国において我が国の天皇および国をつかさどるものを記憶せん、今もいつも世々に」などと祈祷しているので、最初は結構違和感があった。

それは教会の歴史の影響もあって、正教会は東ローマ皇帝やロシアのツァーと仲良くやってきた教会なのだ。そしてニコライ大主教も明治天皇と仲良くやってきた。

教会は世界的に見れば共産主義とは必ずしも仲良くない。これは当たり前のことで、共産主義の提唱者であるマルクスは宗教はアヘンだと言った。実際にロシアでも沢山の教会が破壊され、中国でも伝統的な文化の破壊運動が起こった。

 

にもかかわらず、なぜか日本では共産主義とキリスト教は仲がいい。西洋人がもたらしたものなら、ビールもワインも大した違いはあるまい、とでも言うかのようだ。

左翼とキリスト教」への6件のフィードバック

  1. >なぜか日本では共産主義とキリスト教は仲がいい。西洋人がもたらしたものなら、ビールもワインも大し>た違いはあるまい、とでも言うかのようだ。
    自分の国を「封建的」だと非難したい、いちいち国のやり方に文句が言いたい、
    という目的が同じなので、共闘を組んでいるんでしょう。
    左翼と、在日、中韓が共闘を組むのも、似たようなものでしょう。

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      蘭さん、こんばんわ。

      コメントありがとうございます。
      でも、まだ自分はハッキリとはわからないです。反体制ということで共闘したということはなんとなくわかるのですが。

      返信
  2. 灸太郎

    >「我が国の天皇および国をつかさどるもののために主に祈らん」
    へー、これは知りませんでした。もっと宣伝してもいいのにと思います。
    反日運動やっているキリスト者は朝鮮系の教会が多いみたいです。

    戦前、「アジア侵略に協力したから」ということで仏教も東西両本願寺みたいに
    左翼運動しているところがたくさんあります。。

    日本のキリスト教徒は1%未満じゃなかったかな?
    日本が西欧の植民地にならなかったのは、秀吉がそれを敏感に感じて、
    弾圧したのが大きな理由かなと思います。http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/5a197e856586baf726f6a0e68942b400
    http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2869029.html

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      灸太郎さん、こんばんわ。

      秀吉の件はその通りだと思います。奴隷貿易については知りませんでしたが、当時の東南アジア・中南米でのカトリックの所業を考えれば当然そのようなことはしていただろうと思います。

      宣伝していい、というのは教会に言ってあげてください。
      神田のニコライ堂で毎日曜日そのように祈祷しているのに宮内庁や天皇陛下がご存じないはずがないと思います。実際ニコライ大主教は明治天皇から勲章を受けています。

      ただ、自分としてはあんまり政治思想に深入りしたくないという思いはあるのです。自分自身に対してはキリスト教は真理に近づくということで必要な教えということにしておきたい。
      第一次大戦から我々が小さいころまで、共産主義を信奉するわけではなくても、コスモポリタンな考えが支持される土壌というものがありました。宗教や神秘思想もそういう傾向があったと思います。
      正教会は逆に右翼思想や国に利用される傾向というものはあります。正教会の国というのは常に本当の戦争にさらされる場合が多かった。イスラムとの戦いに聖母が祈祷しているというのも行事として記憶されています。モンゴルの支配に対して戦うときにロシア建国の父と呼ばれる聖セルギイは国のために戦う戦士のために祈祷しました。ギリシャがオスマントルコから独立する際にも精神的な支えとなったのです。
      このテーマは大きなテーマだと思います。何かの機会に改めて詳しく紹介できるかもしれません。

      返信
  3. ネコ

    ネコです、取り込んでいてすっかりご無沙汰しています。
    左翼とキリスト教徒の話ですが
    「天皇および国をつかさどるものの為に主に祈らん」
    正直に言って、素晴らしいことと思います。
    キリストは仰いましたね、人の為に祈れと、、。
    今現在はどうかよく把握しておりませんが、
    私の若い頃、
    一部のかな、キリスト教徒(少なくともプロテスタント教団信徒)学生運動をしているキリスト教徒などの中で
    「天皇の為に祈らねば、、」などと言おうものならば、
    ナンセンス!日和ったか!自己批判せよ!とか意味不明のヤジが飛んだものです。
    えっ!そうなんかなあ?とか思っても口に出せなかった。
    天皇裕仁がどんなに好戦的だったか知らんのか!とか怒られかねなかった。批判されかねなかった。
    あれはなんだったんだろうか?
    戦後生まれの私たちが、それを鵜呑みにしてよかったのだろうかと今、思います。
    ようするに自分の考えを、思ったことをサラリと言えるようで、実は言えなかった。
    あの当時、大阪で開かれた万国博、
    70年安保問題から国民の目を逸せる(そらせる)為に政府によって開催されるのだから、
    参加すべきではない!とかいう思想が一部に蔓延っていた。
    キリスト者は、反博(はんぱく)であるべき!
    もう何がどうなっているのか判らなかった!
    今、正直に言って、私は万博、行って見たかったですね。
    見てみてから言えば良いんですよ。
    見てから、おかしければ「あれはおかしい!」と言えばいいんだと思う。
    あの時代、そんなこと言えば、右翼だとか、新派(?)だとか言われた。
    自由にモノ言える時代でありたい。
    現状と実態を正確に把握した上でそのうえで、意識を高めていきたい。

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      ネコさん、こんにちわ。

      貴重な証言だと思いました。私は、ネコさんより少し時代が後だと思うし、直接その場にいなかった。民青でキリスト教徒というそっちの方面一辺倒の、でもとってもやさしい感じのお姉さんとかはいた。何者か、よくわからん。そしてその人の教会を除いてみたりもしなかった。
      わからんのですよね。何が契機でそういうことになったのか。
      それに対してどういう態度をとるかはまた別で、他のコメントにも書いたように政治的な問題にあんまり深入りしたくない気もするのです。
      ですが、そういう傾向の教会があって、そういう空気があったということをじかにお聞きしたのは初めてです。

      返信

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