問題は、この中間的なレベルにあると思うのです。
人は、物事を崇高なものと低俗なものの2極に分けてしまう。
神の愛です。誰でも平等に、敵でも愛します。素晴らしい。しかし、なかなかそうはいかない。
一方で、そんなことは必要ない。ギブアンドテイクで、得になる方を取ります。見返りがあるから大事にします。愛なんて信じない。物質がすべてだ。そういう考えもある。
しかし、世間のものごとは往々にしてその中間で動く。たとえば異性や結婚の問題とそれに伴う愛。愛は愛でも、敵をも愛する崇高な愛というわけではなくて、だからといって金持ちだから、豊かになるからという欲や打算でもなくて、「いろいろあっても、やっぱりこの人でないとダメ」みたいなことで選択する。
しかし、教会などは往々にして崇高な理想だけを説く。それは間違いなく正しい。でも、それだけではない。
神と物質の2極では、やっぱりだめで、実はもう一つ中間的なレベルの法則が存在する。それは惑星界の法則、占星術の法則、運命、魔術である。魔術という言葉は誤解があるかもしれないけれども、要するに「崇高とはいえなくてもやっぱり不思議な事柄」である。