ネトウヨを蔑称ととらえる人もいるが、そういうつもりでこの言葉を使っているのではない。ネットが普及して、それまでマスコミがタブーにしていた真実が広く知れ渡るようになった。
彼らにはそれなりの功績があった。我々の時代、「日本は世界中を相手に戦争をした。あの戦争はやってはいけない戦争だった。」と皆一様にならった。当然我々が知っているべきことを我々は教えられなかった。実はインドやミャンマーやベトナムやインドネシアが戦後独立できたのは、日本が自ら掲げた理想を実現しようとして邁進したからだった。ネトウヨさんたちはその思想を広める役目をした。功績は小さくない。
ではあるのだが、ネトウヨさんたち、あるいはその思想を引っ張っていく名前の知れたオピニオンリーダーさんたちもだけど、一様に放射能被害については軽視する傾向がある。これがわからない。
ネトウヨさんたちが原発推進をする、これはわかるような気がする。原発というのは、電気を起こすということのほかにプルトニウムを生産するという意味合いがある。プルトニウムは再軍備の時に原爆製造に使うのである。中国や北朝鮮に対抗するためだ。今軍備云々は平和憲法下でタブーなところがあるが、意見としてこれはありだと思う。
それから、今までの技術がもったいないという考え方もできる。これはあるだろうと思う。今まで多くの危険を冒して原発を推進してきて、実際に実用レベルで日本の電気を賄ってきた。プルトニウムが核燃料になり得るとはいえ、少なくとも表向きは日本は軍備はしないし核兵器は持たない国であって、いままでところすべて平和裏に行われてきた。この技術やノウハウの蓄積を捨ててしまうのはなんとももったいない。これもわかる。
しかし、原発を推進したいのであればなおのこと、福島第一原発事故においての放射能被害というものに対しては敏感である必要がある。
有名な武田邦彦さんは、事故直後には「私は安全な原発推進派です」と公言していたが、だんだん反対に近いほうに傾いてきた。一貫して言っているのは「被害があるかどうかはわからないけれども、とにかく法律で決まっているから1年1ミリシーベルトなのだ」ということだ。武田さんは原発の問題に対して警鐘はならしているけれども、それ以外の問題については大体「ネトウヨ」さんの主張と同じだと言っていいと思う。この人の言うことには賛否もあるけど、最近やっと、この人の言うことがちょっとわかりかけてきた。
別に福島県に行ったら、会う人会う人、みなガンになっているわけではないのだ。みんながみんな鼻血を出しているわけでもない。何も扇動しようというわけじゃない。
でも、仮に1万人に1人でも原発のせいでがんになるというのであればそれは大変だから、事前にきちんと決めましょうということで、事前に様々な法律や規則が設けられた。おかげで、病院に行けば立ち入り禁止区域があるし、放射線技師は決まりをきちんと知り尽くしていて、その何万分の1の危険性を避けるように放射線の仕事に従事しているのである。さあ、みんなで安全に原発を推進しましょうとということで決めてきた決まり事、それをいざ事故が起こった時に「実は100mSvでもいいのです」といってしまったのでは、話にならない。たとえていうなら、建築士の試験を受けるときには柱の太さを10cmと決めているのに、いざ建てるときには、「実は8mmでOKです」と言っているようなものだからだ。8mmで直ちに倒壊はしないだろう。だが風が強いとき、大きな地震の時には、これぐらい壊れやすくなりますよ、ということは散々検討されたうえで決めたはずなのだ。そこには技術者、科学者としての責任感や誇りがある。
でも、大方櫻井さんでも金美鈴さんでも田母神さんでもアパの社長さんでも、どうも一律に「いやいや、大したことはないよ」という意見を採用しているように思える。
結局のところ、ネトウヨさんがこれほど支持を集めているのは、思うにその主張の根拠がほぼ事実だからだと思うのだ。放射能についてもそうあってほしいと思う。左翼だから反原発、右翼だから原発推進、そういう風になってはダメだ。