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80代の見解

今年はなんやかんやで、いろいろな役や依頼ごとが回ってきて、会合にもいろいろ出た。
そうした中で、町内でも恐らく有力な、あるいは知識があると言ったらいいのか、やりてのご老人たちが集まるような会議に出た。

自分はその場で、先の戦争に対する老人たちの見解に違和感を覚えた。
彼らはああいう戦争は絶対やっちゃいけない、あれは間違った戦争だったんだ、ということを力説したのです。表現はこういう表現ではなかったかもしれない。でも、大意としてはそういうことでした。

自分としたらもう少し複雑な思いがあるものだと思っていた。

 

昭和10年、1935年生まれの人というのが、今年は84歳になる。彼らは、単に被害者である。終戦時、昭和20年で10歳である。80歳の人は6歳である。今ご存命の人々で、戦場に行った人はほとんどいない。おそらく彼らの父親が戦地に行っている。

自分の場合祖父がレイテで死んでいる。自分があれやこれやの今の情報で聞きかじったところでは、その戦場では日本兵の死者は多分5万か、それ以上にのぼった。相手は圧倒的な軍事力でもって待ち伏せしていた。援軍として遣わされた日本軍は、皆そこに駆り出されて一団ずつ殲滅したらしい。もちろん、戦地に出た当人たちはそこまでの情報はわからない。昨日はあの部隊が行った。今日は我々の番だ。そして、突撃したのか応戦したのかわからないが、そこで死んでいったのだろう。まもなく終戦という頃だった。

多くの人々は、軍部や政府が国民を間違った戦争に駆り立てたのだ、と言っている。あれは間違った戦争だった。やってはいけなかった。
それ、そうか?

開戦前の地図を見た時、西アジアおよびインド、ミャンマーなどはイギリスの支配下に置かれていた。東南アジア、インドシナ半島はフランスの植民地だった。インドネシアはオランダの支配下に置かれていた。フィリピンはアメリカの支配下にあった。アフリカはフランスとイギリスが支配していた。
独立を保っていた国は、日本とタイだけだった。中国は、西洋におもねる形で生き残っていた。

自分が知る限り、戦場に言った兵士たちは、本当は嫌だけど天皇や上司に命じられたから行くのだ、と言っている記録はない。彼らはほとんどその状況を認識していた。国民の多くは細かいことは分かっていなかったかもしれない。軍事予算がどうであるのか、アメリカとの国力の差がどうだったのか知らなかったのかもしれない。しかし、私が知る限り彼らは「アジアは侵略された。明日は我が身だ。我々は天皇のもとでアジアで共存共栄を図るのだ」という看板の元に戦っていた。
そこで、なるほど戦場に慰安婦はいたかもしれない。悲しみも絶望も不正も欲望もあったかもしれない。
それでも彼らを駆り立てていたのは、その看板だったように私には思える。ほとんどの兵士が「そういうことなら自分も覚悟を決めよう」ということで戦争をしていたと思う。

今では特攻隊はまるで全然ダメだったかのように言う人が多い。
最終的な数字の結果で、素晴らしい戦果と言えなかったのかもしれない。だけど、戦場でそれを見た時に、自分はアメリカ兵たちは恐れもし、また尊敬もしただろうと思う。ここまでやるのか、と思ったと思う。

日本は最終的に負けた。だが、どう負けたのか。負けたからすべて悪かったのか。
たとえば、ゴルフで優勝者はアンダー3で、準優勝者はアンダー1だった。アンダー1だった準優勝者はすべて悪かったのか。スポーツでは二位でもいいのだ。
物量作戦で負けたから、あれはやってはいけない戦争だったのだ、と私たちは習った。でも、それ本当か?

 

そして、そのようにして、おそらく使命感に駆られて突撃して言った兵士さんたちの年齢は、多分105歳ぐらいより上の皆さんだと思う。一番勇敢な人々から死んだ。

80代の人々は家族を失い、空襲にあい、空腹と戦い、最後には時折やってくる戦闘機の機銃から逃げ回った。

彼らは直接戦ってはいない。そして、自分もまた開戦に賛成した、というような経緯もない。ある意味純粋な被害者かもしれない。そして進駐軍がやってくる中で生き残るためには、「あの戦争は間違った戦争だった」というプロパガンダに従う必要があったに違いない。

違いないが、それでも、皆さん方、ご自分のお父さんが命を投げ出して戦った戦争が「あれは間違っていた」ということに対して複雑な思いがないのか?そこが自分が感じた違和感だった。

当時インドネシアだってカンボジアだって、それはそれは悲惨な状況だった。なんでもカンボジアの教科書は日本軍の行進から始まるらしい。彼らにとって、日本軍の進撃によるイギリス軍の駆逐こそが、国のスタートだったのだ。

 

それで、今はもう80代の人の意見は、100%信じてはいけないと思う。その時代にはそれが正しかった。そうしなければ生き残れなかったかもしれない。我々の知ることができない本当に悲惨な出来事もあっただろう。だが、それはそれだ。「あれは間違った戦争だった」というプロパガンダからは、もうそろそろ解放されるべきだと思う。

様々な側面を自分自身で判断する。その判断のためにお前は命を投げ出せるか?
それは私の判断だ。彼らの判断すべきことではない。

80代の見解」への5件のフィードバック

  1. あめ

    同じ事を思ってました。中国・韓国以外のアジアの国の方達は未だに日本に好意的、日本に感謝しているではないですか。当時の戦争は、欧米列強のアジア進出に脅威を感じた日本が、なんとかアジア全体を守ろうと奮闘し、朝鮮半島へは自立を促すものの実力不足で、しかもあちらから願い出て日本に併合されたらしいですよね。
    日中戦争だってロシアが陰で奮闘していたらしいですし。
    日本はABCD包囲網で石油が入ってこず、このまま座して死を待つよりは、との思いから日米開戦に踏み切った、と読みました。
    そんなにたくさん調べたわけではないですが、アメリカを正義と捉える国の風潮と、1億総ざんげ、みたいな論にはなぜか子供の頃から納得がいかなかったです。

    ただ、日本国内でも陸軍は暴走したのでは?という印象があります。暴走ややけっぱちはよくないです。
    海軍は終戦を模索していたような・・。
    ・・・興奮してまとまりがない文章になってしまいすみません。なにか不適切であれば削除してください。

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      あめさん、こんにちわ。

      同意いただいてありがとうございます。
      自分としては、直接上の世代の人に聞いた内容が、あまりにも「あれは間違いだった」的なものだったのでショックでした。
      自分としても、小さい時はそれが当たり前で習ってきたのです。

      返信
  2. 灸太郎

    基本的には同意なんですけれども、なぜ「あの戦争は間違った戦争だった」という発想が出てくるのか?それはどう考えても無計画な戦いをやったからでしょう。

    敵は鬼畜米英とロシア、だとしたらなぜ支那事変を深追いしたのか?北支と南方の二正面作戦を補給もなしにやったんですよ。補給は現地調達。そら住民の反感も買います。軍人が死ぬのは本望、でも徴兵されて無謀な作戦で無駄死にした庶民は?南方の戦死の大半は餓死と病死です。北支の瀬島やインパールの牟田口みたいに前線で死ぬべき指揮官が戦後の日本の繁栄を享受した。そういうことも考えておく必要があると思います。左右のプロパガンダを越えた着地点は、マスコミではあまり支持されてないと思います。

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      灸太郎さん、こんにちは。

      返事が遅れていてすみません。
      色々細かいことは分からないと認めます。
      ただ、大雑把な考え方として、「あれは必要な戦争だった」「あれはやるべきだった」と今後は考えたいと思います。自分ではそうしてみようと思います。
      今日本人に刷り込まれているロジックは「あれはやってはいけない戦争だった」「あれは間違いだった。」「戦争はしてはいけない。」です。
      それがそれだけで済んでいません。そのロジックの上にあらゆる思想が構築されています。
      国際関係、政治、そうしたもので、「何かおかしい」と感じるものは、根底に「あれは間違いだった」があります。無謀かどうかも、間違いだったという判断の上に無謀という価値観が出てきます。もしその無謀な戦いがなければ、たとえばミャンマーは今日存在しないかもしれません。

      返信
      1. 灸太郎

        ぶっちゃけ「インパール作戦がなければインドの独立はなかっただろう」と考えるインド人は少なからずいるそうです。

        返信

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