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日本での正教

一昨日ギリシャ政府が行うギリシャ語の試験があって、Β2とΓ1を受けてきました。
自分としては、この間Α2が「優秀」Β1が「とても良い」ということだったので、次のクラスでもひょっとして通るのではないか、ということだったのですが、試験開始前に皆さん方がおっしゃるには、Γ1が通ると大学の受験資格ができるということ、Γ2が通ると公務員に採用されるレベルということで、こんなのが通るとえらいことですよ?といわれました。
実際には、今回は多分ダメだと思う。聞き取って設問に答えるのが自分の感覚ではほとんどできなかったから。他の問題も試験のテクニック的に「ここは名詞が来る」「ここは前置詞でつながる」みたいなので回答をおくことができても、実際にはすらすらとわかるというレベルではなかったので、概して難しかった。
ただ、合格するとは思っていないものの、全く歯が立たないとかいうことはなかったと思います。今後は別の何かが必要だと思う。

さすがに午前と午後別々の試験で朝9時から夕方の6時まで集中し続けるのは大変で、夜も神経が高ぶってなかなか寝られなかった。こんなことはあまり経験したことがありません。朝も気がついたら7時30分で、いつも必ず6時前に起きる習慣で考えると、これもあまりないことでした。

 

Β2の受験者は私を入れて2人、Γ1の受験者は私だけ、ということで試験官の皆さんとも去年に引き続きで顔なじみになったので、いろいろ話す機会がありました。

 

そうした会話の中で、ギリシャで教会に行っていて、日本で教会に行くかというと、とても無理だ、とそこにいた人がおっしゃいます。

自分も薄々は感じていたのですが、長くいた人はそういう感想をお持ちなのだろうな、と。

それは、多分3つの理由がある。

一つは日本の教会はロシアから伝わったということ。教義も同じ、祈祷も一緒、でも音楽は別、言葉も別です。
そして、二つ目はそのロシアから伝わったということを、ものすごく誇りに思っている人とか、日本は日本の伝統とか、そういうものがあるということ。
三つめは日本ではキリスト教そのものが少数であるということ。つまり、とんがっていないと生きていけない状況なのです。ロシアも散々ソ連が破壊活動を行い、今のロシアでも宗教は自由だという建前になっている。正教が国教で学校で主の祈りとニケア信経を覚えさせられるギリシャとは違う。100%国が正教なら、肩ひじを張らずに中で生きていけるでしょう。しかし、日本ではとんがっていないと、「仏教もいいですねえ」というわけにはいかない。彼らは学校で習って基礎がある人間が集まってるんだから、教養として仏教を学んでも何の問題もないのです。

 

自分が行ったころからそれは日本の正教にはありました。ビザンチンの聖歌を教会の偉い人が「あのアラビア音楽」と仰ったのは、ショックだったねえ。これが本来のものなんだよ?

自分の場合はロシアもへったくれもない、原型に近いものにたどり着きたいというだけのことだったので、何のためらいもなくギリシャ語から勉強しました。ほとんどのクリスチャンはそう考えない。プロテスタントの人は英語で聖書を読むといいと言い、カトリックの人はラテン語の祈祷がいいと言い、日本の正教の人はロシア語がいいというのです。

 

今回の旅行ではいくつか思うことがあったので、また記事が書けるかもしれません。

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