ペルシャ戦争というのは、昔々アケメネス朝ペルシャがギリシャに攻め込んだ戦のことです。
当時ペルシャは巨大な国家でインドの西側から中東一帯、カスピ海沿岸、エジプトまで従え経済的にも大きかったと考えられます。
一方ギリシャは小さな都市国家からなっており、ただ言語と宗教だけが同じでした。彼らはゼウスやアポロンを信仰し、どの国家に所属していてもデルフォイの神託をありがたくいただきました。別々の国であったけれども、ペルシャが攻めてくるとなった時に、お互いの都市国家が手を結んでやっとこさペルシャに対抗したのです。
この戦いでアテネはいったん焼き滅ぼされ、その後の戦で負けたペルシャはいったんは退却しますが、その後も莫大な経済力を使ってそれぞれの都市国家を調略しギリシャを追いつめていきます。最終的にアレクサンドロスがペルシャを滅ぼすまでペルシャの優勢は続きました。
ギリシャに攻め入ったペルシャ軍は実際には各国の連合軍でした。メディア、フェニキア、エジプト、サカイ人、ギリシャの中でもイオニア地方の軍隊、こうした様々な国の軍隊がペルシャ王の名前のもとに一緒にギリシャに攻め入ったのです。
これは考えようによっては、もし当時テレビがあれば、テレビは「ペルシャ王はギリシャのテロリストを断固鎮圧することを決意し、~~国はただちにこの考えに賛成しました」的な感じで、こちらのほうが圧倒的に多くの人々にとっての正義だったのだろうと思います。
結局アレクサンドロスが勝ってペルシャを滅ぼし、ギリシャ側の書いた戦記が残ったから、今我々はギリシャをヒーローとして受け入れているのです。ヘロドトスはカッコよくギリシャ側の勝利みたいに書いているけれども、アテネの町が完全に廃墟と化すような戦があって、ペルシャ国内の町が無傷で残っている状態で、「ギリシャが勝った」というのは公平な観点からは納得できないのが普通でしょう。それにギリシャ側の主な指揮官は次々ペルシャ側に亡命したりしています。
今の世界の情勢で、イスラムの人々は、さまざまな国に別れているけれども、信仰は同じで言葉はアラビア語、そしてこの何十年かというもの、アメリカの号令のもとにイスラム世界の国を含む、様々な国がイスラムエリアに出兵しています。そして、イスラムの国々の大都市は散々に破壊されています。アメリカの都市、ロサンゼルスもニューヨークも、9.11の飛行機の突撃を除けば、何一つまともな攻撃は受けていません。イスラム諸国が受けた被害は、欧米が受けている被害などとは比べ物にならないと思う。
と、自分には、この状況はペルシャ戦争のころのペルシャとギリシャの関係に似ているように思えるんですよね。最後の勝者がイスラム側になる可能性は自分はあると思う。ただ、大事なことは、公平な観点で見て、何が正しいのか、もっともな主張なのかということだと思います。