日本の新興宗教というものを考えたときに、個人崇拝が多い。
もちろん外国起源のものもあるから、一概には言えないところもあるが、概して個人崇拝する。
つまり、キリストや釈迦は尊び、教祖はキリストや釈迦を超えるものだと言いたがるけれど、根本的な原理というか、思想そのものを訴えることはない。
秘かに思うに、外国人が新興宗教にはまりにくいのは彼らが思想そのものを信奉するからかもしれない。
神というのは簡単に言うと命の原理は一つのものに帰するということ。で、仮にそれを主張するのなら、神そのものを否定することはできないはずなのです。それがある一つのものに帰する以上、それを何と名付けてもいいんです。神と言いたくなければ、ブラフマンだと言ってもいいと自分は思う。
とはいえ、昔は自分も個人崇拝に傾倒していたのかもしれない。
簡単に言うと、それは日本人に神という思想が根付いていないからだと思う。最後の人はいない。いなくてもいい。ある法則によって、私はここに形をとる。それでいい。そこが、外国の宗教家と日本の新興宗教家と違うところだと思う。