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キリストを愛する軍隊

長崎の平和祈念式典で、カトリックの司祭さんが「戦争は愚かだと叫ぶ勇気を」と仰っていたらしい。

 

とても複雑な気持ちだ。

大航海時代以来、カトリックの宣教師とともに世界中にスペインとポルトガルの軍隊が派遣され、各地の原住民を虐殺し植民地が作られていった。最終的にはその流れで、国を挙げて軍備に取り組んだ日本だけが西洋列強の侵略を免れて独立を保ち続けた。

 

広島・長崎は、西洋列強がアジアに行ったいわば最後の力の誇示だった。

 

太平洋戦争で日本が善戦し、インパール作戦で東南アジアからインドにかけて進軍したとことが、アジア諸国の独立を促した。そしてそれを見ていたアフリカや中南米諸国も次々独立したのである。その後、ベトナム戦争もあったし、アフガニスタンの戦争もあったが、日本の戦いによって世界の地図は塗り替わった。

 

頭で考える平和な世界というのは、世界国家みたいな一つの国が全部を収めるというのかもしれない。共産主義もそういう理想を抱いていた。キリスト教、カトリックも多分そうだった。そのせいか、日本では戦争反対と共産党とキリスト教はいつも一緒に行動している。これって変だよ。

しかし、老子は違った。彼は国の理想は、隣の国の鶏の声が聞こえるような小さな国が沢山あることだと言った。老子が正しかったのかもしれないとも思う。デカすぎるものは難しい。

 

ちなみに、ギリシャではカトリックでいうミサに相当する聖体礼儀、日曜にやる祈祷の中で、

「hyper … tou philochristou stratou (キリストを愛する軍隊のために)…」

「kyrie eleison (主憐れめよ)」

という一節が出てくる。

ギリシャ正教圏では世俗の政治は王や世俗の統治機構が行い、教会は世俗でない部分を担当するということがはっきりしていた。だから、東ローマの皇帝とコンスタンチノープルの総主教、ロシアのツァーとロシアの総主教はお互いが違う役目を持ち認め合う立場だった。カトリックのように世俗の権力も同時に持つことにはならなかったのだ。教会は為政者と軍隊のためには必ず祈祷するのである。

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