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評価する力

アナと雪の女王、各方言バージョンの動画がさまざまに出回っている。多分最初にヒットしたのは、「生まれて初めて リプライズ」つまりアナがエルサの宮殿を訪れて一緒に帰ってくれるように懇願する場面を博多の言葉で演じたものだ。

 

本当は出雲弁のものもあってほしいと思うのだけれど、自分としてはやっぱりある程度のクオリティがないといけないと思うんです。歌う人がやはりそれなりにうまく歌っていて、聞くに堪えるもの、かわいらしいと思えるようなものでないといけない。聞いたはいいけど、なんとなくおじさんがボソボソ喋っているというようなものであってほしくない。色々表現を考えることはできるんですよ。歌うとなるとちょっと難しい。

出雲弁は単に語尾の言い回しが違うとかアクセントが違うというだけではなくて、時には語彙そのものが違っていたり、文章全体の言い回しが非常に違っていたりする。自分はテレビで沖縄の人が地の言葉でしゃべっているのを見て字幕がついたりするのを見るわけだが、本当に昔からの訛りを残している人については出雲弁もあれぐらい理解しにくいのではないかと思っている。

大国主命が朝廷と争って、博多や広島や近畿が歴史の表舞台になり、続いてその中心は東京や東北にうつっていった。出雲の言葉はそうした地域に取り残されるような格好で古い形をずっと保ってきたのだろう。

一方で高齢化が進み、そういう訛りを皆が話しているわけではないということもあり、失われつつあるともいえるかもしれない。当の私自身が、人前で話すときにはつい関西の言葉で話してしまう。

 

そうこうするうちに、出雲地方に住んで出雲の言葉を大事にするだけではダメなのではないかとも考えるようになった。

出雲弁の表現の独自性とか価値とかを評価するためには、他の地域や他の言語の表現を知っていなければいけない。これこれこうだから、出雲弁は面白い。こういう価値がある。こういう点がこういう言語の特徴と同じでこういう点が違っている。

本当に必要なのは、それを評価する力なのではないか?新しいことをするためには若者と馬鹿者とよそ者が必要だなどというけれども、宝の山の中にいる人にはなかなか宝物の価値がわからないということは、洋の東西を問わずあるのだろう。旅をするなり、勉強をするということはやっぱり続けて積み重ねていかないといけない。

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