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言葉の力 (2)

「水からの伝言」に関して、いろいろな考えを列挙した。

だが、自分の中では、そもそもの前提として、「この世は『もの』でできているわけではない」ということがある。

 

この世が神の言葉だ、という場合、自分にとってはそれが聖書に書いてあるからというのではなくて、もっと単純に目の前の事実なのだ。

この世が、包丁で切り分けられた、小さくてこれ以上切り分けることができなくて、変化することなくずっと存在している何かの集積でできていて、それには名前が付けられていて、そこに対象が存在し、私はそれを欲する・・・という考え方が原子論だ。

原子論は、まだ「見た」ことがない人が信じる考え方である。「見る」とどうなるかというと、その対象としての輪郭は崩壊して、それは生きていて、流動的で、それ自体では存在せず、結局それが何かはわからないがそれ自体で存在しているところの一つの源・・・昔の人が神と呼んだもの・・・からやっていている何かによってできているのだ。そのこと自体は、仮に彼が仏教だろうがイスラム教徒だろうが無神論者だろうが、何ら変わることはない。真実は真実なのだから。

 

むしろこの問題は、一度そのように見たにもかかわらず、そのほかの「この世は『もの』なのだ」という常識からくる様々な言葉、考え、習慣があちこちに氾濫していて、その人の意志を通常の状態へ引き戻してしまうことにある。

何かそのような、通常ではない経験をして、ああ、確かにそういう事実があるのだ、とその時は理解したとしても、多くの場合そのときには特殊な意識状態を経験していて、彼の中には通常には存在しえない様々な新しい真実や考えが流れ込んでくる。だが、それは日常生活の言葉では表現することの難しい真実なのだ。

その結果、「言葉をかけると水の結晶の形が変わりますよ」とか「そういう物理法則はありません」とかそういう会話を聞くと、自分がかつて見た真実とは全く別のものとして、そういう別の事実はそれはそれである、と思ってしまう。水という物体があり、水という分子構造があり、水素や酸素の原子があり、声という波動があるとか、そういう前提での話に戻ってしまう。
それが水の伝言でなくて、郵便局へ行くとか、ビフィズス菌を取ると健康がどうなるだとか、そういうことでも同じで、あらゆる習慣がゴムや粘りのある物体のようにあなたを悟りから無明の中へ引きずり戻してしまうのだ。

キリスト教の言葉でいうところの「信仰の足りない」連中である、ということになるだろう。お前、信じろや。そうじゃないんだって!

 

それで、そうでなくすための一つの方法は、それ自体があなたに対して言葉を繰り返すことである。ホ・オポノポノは自分はやったことはないけど、理屈にはかなっている。毎日ありがとうと言っていれば、あなたは「ありがとう」になる。その繰り返す言葉が、あなたの新しい常識になるのだ。

理性などというものは、繰り返しの言葉によって支えられているだけのものでもろいものなのだ。ちょうどある生物が萱の茂った河原の特定の場所にしか生息できないように、その人の人生のその状況でないと保つことのできない、屁みたいなものに過ぎない。もしそういう科学馬鹿を人生の状況から切り離して、スワヒリ語しか通じないライオンやキリンのいる場所に放り込めば、その人は同じではいられない。

と同時に、その新しい状況を自分自身に対して詳細に説明した人が、それを自分に納得させることができる。葡萄酒を入れるための新たな皮袋がいる。

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