キリスト教は聖書の宗教だと言われており、実際に聖書はキリスト教を通して日本に持ち込まれた。ユダヤ教が先に日本に伝わったら、聖書は今の形ではないものとして、日本国内で認識されていただろう。
キリスト教にとって、聖書はなくてはならない書物である。
が、キリスト教の中には、聖書には直接言及のないいくつかの教義や伝統がある。
大きな例として、至聖三者、いわゆる三位一体についての教義は、直接には聖書には書かれていない。しかし、カトリックや正教が分裂する前の公会議でその教義が正しいと認められた。そして、それは異端とされる教派以外のすべてのキリスト教で、少なくとも名目上は、信奉されている。
正教のような教会は、別に聖書と矛盾するわけではないが、聖書ではない様々な伝統を最も沢山持っている。ま、そりゃそうだろう。聖書と言うのは、せいぜい1世紀前半までのことを記した文書だ。キリスト教はその後もずっと続いている。そうしたなかで、主がおいでになったことによって、過去の預言者たちを上回る成果が出なかった、と考えるほうがおかしいと私は思うのです。
が、まあそれはいいや。
いずれにしても、聖書の宗教と言うには謎のものがいくつかあるわけだ。
そもそも、キリスト教は他の聖書の宗教と違って、言葉を神が授けたという前提がない。
キリスト、神の子、子である神が直接この世に来て、弟子たちのいるときに処刑され、また復活するというびっくりするような事実が起きた。その事実をじかに見聞きした人が教会を作り、その人々が書物を書いたものが聖書となったわけである。
最初からモーゼに石板が与えられたユダヤ教や預言者の口から一連の言葉が出てきたイスラム教とは違う。
キリストの十字架と復活がキリスト教のすべてなのだ。
それで、話がややこしいので、ウィキペディアで聖書が成立した年や関連した年について、一般的な現在の研究に基づく年代を並べてみた。
33年(ごろ)キリストの磔刑
64年 ローマ大火 皇帝ネロがこれらをキリスト教徒の仕業として集団処刑を実行。
65年ごろマルコ福音書書かれる
70年~85年 マタイ福音書書かれる
80年~95年 ルカ福音書書かれる
140年ごろマルキオンがルカ福音書、パウロの書簡(一部)のみが正典だと主張、また旧約聖書を排除しようとして異端とされた。
325年 第1回ニカイア公会議でニケア信経(ニカイア・コンスタンチノープル信仰箇条、クレドー)が設定される。
326年 東ローマ皇后ヘレナが失われていたゴルゴタの丘を発掘しキリストの十字架を再発見
392年 ローマ帝国でキリスト教が国教化される。
397年 第3回カルタゴ教会会議で黙示録とヤコブの手紙を除く新約聖書が正典とされる。
10世紀ごろ黙示録が新約聖書として認められる。
16世紀 それまでも旧約聖書はいわゆる聖書としとして認識されていたが、プロテスタントの発祥とともに正典としのて定められる。
実際には、ローマで多くのクリスチャンが皇帝ネロによって迫害された有名な事件の際には、聖書は何も成立していなかった。彼らにとって「聖書」とはせいぜい旧約聖書、しかし、当然のことながら、教えの中心は単にユダヤ教に追随することではなく、別の何かがあるからこそキリスト教だった。しかしその「別の何か」は書物になって我々まで残っているということはない。
さらに、一応新約聖書が正典とされるまで、散々いろいろなことがあった。それまでの公会議だとか十字架の発掘だとかローマ帝国での国教化というようなことは、「これとこれとこれが新約聖書ですよね?」という前提なく進んだ。少なくとも現代の多くの教会がその根拠としている黙示録は、まだ取り扱いに困る書物だった。
と、まあ、ここまでは当然のこととして誰もがちゃんと調べればわかることです。
しかし、先日、とんでもない考えがふと頭をかすめた。別に聖書が間違っているというつもりはないんだ。聖書だろうがじかに誰かから教えてもらおうが、真理は真理だ。だけどさ・・・
つまり、教会は聖書に対して忖度したのではない、ということです。
そもそも、キリスト教は「聖書ではない宗教」だった。
どこが起源とかそれは別にして、要するに別物だった。
真理は真理だ。神は本当だ。そこは別にいいんだよ。繰り返すけど聖書が嘘だと言ってるわけじゃないんだ。
たとえば信経、信仰箇条にκατὰ τᾶς γραφᾶς(聖書にかなって)という項目がある。復活のことを言っている節だ。もし生身の人間が復活したなら、普通に考えたら別にそれを告白するだけでいいじゃないか。ありえないんだから。
「ユダヤ教はん、うちらの先生、おまえさんとこらと違うて、ちゃんと復活しはりましたよ?どないです?」
といってもいいじゃないか。
しかし、この告白文を書いた人は「聖書にかないて復活し」と決めた。
要するに、旧約の伝統、それまでのイスラエルの伝統からみても、キリスト教は正当な宗教なのだ、ということをわざわざ主張するために、聖書に対して忖度したのではないかということなんです。
「いやまあ、うちら、ちょっと違いますねん。でも、ほらほら、ココ見てみて。前からの聖書と比べてみればちゃんと正しいことがわかるでしょ?」
と言いたいがために、聖書をわざわざ持ち上げたのではないか。
聖書の成立過程そのものに、そういうプロセスが組み込まれたのではないか。つまり、聖書が書かれたり選ばれたりした理由の中には、それが本当に正しい書物であるということのほかに、対外的に「ほれ、これが正しいでっしゃろ?」という主張が必要だったのかもしれないということです。
もっとも、これについてはその説を裏付けるだけの材料は私にはありません。
忘れて、忘れて。