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結論のわからない事柄

今日また浜田女子大生殺人事件の懸賞金が1年延長されるという報道がなされていた。

警察は、結論のわからないところで、何とか解決に結び付けようとしているのだろう。

占いを依頼いただく場面というのも当然同じであって、「この人とうまく行くでしょうか?」という質問があっても、普通はそれが最終的にうまく行くのかどうかというシナリオなど何もない状況での依頼であるわけだ。本人は当然うまく行ってほしい、と思って依頼しているけれども、「これはダメです」というお答えをすることもあるわけだ。

 

家族が刑事ドラマが好きで、結構いろいろなやつを見ている。自分もお昼は仕事とは思っているが、自宅の一角なので、お茶タイムに「相棒」なんかがやっているといろいろ見ることになる。昨日の晩は何か女の人が主人公の刑事ものをやっていた。SMAPの稲垣さんが上司のやつ。

 

そんなにくわしいわけではないが、自分で見ていると、多分「刑事コロンボ」が日本のテレビに与えた影響は絶大なものだったと思う。刑事コロンボは1970年ぐらいのアメリカのドラマでNHKさんが土曜日の夜などによく放映していた。

 

アガサクリスティとかだと、奇想天外なトリックがあって、推理で犯人がどうやったのか、ということをポアロなり誰かが説明すれば、それで小説や映画が終了するように見える。視聴者であるわれわれもポアロさんとかと一緒にトリックを考える。

しかし、コロンボの場合は、犯人がどのように殺人を犯すかどうかを視聴者には見せておく。多くの場合犯人は上流社会の人間で知的な人だ。そして、コロンボが証拠をそろえた時点で番組が終わる。殺人をしたのはある意味最初からコロンボもわかっている。検挙できるかどうかが問題なのだ。そして、コロンボは犯人を尊敬しながら、チクリチクリと細かい不審な点を詰めていく。

多くの日本の刑事ドラマがそれを踏襲している。視聴者は誰が犯人でどのようにわかっている。刑事は犯人のところに足しげく通って、そいつの作ったトリックを一つ一つ暴いていくわけだ。

 

だけど、よく考えてみると、これってまさに普通の人が考えがちなことだと思う。

殺人事件にしても、幽霊みたいなものにしても、歴史の出来事にしても、多くの人が「こういう結論だ」というのがわかっていると思っている。戦う前の徳川家康。本当は勝つかどうか誰もわからないのに、我々は勝つという前提で歴史を見る。幽霊はいるかいないかわからないが、いないという前提で話をするしかない。

 

でも、自分が当事者になった時には、何もわからない。何一つ確かなことはない状況に放り出されるわけだ。

 

占いが何かの意味があるのは、一見暗中模索の出来事の中に、それなりのシナリオを提供してくれるからだ。でも、本人としては、大方の出来事が済んでしまうまでは、なかなか考えがまとまらないものだと思うが。

結論のわからない事柄」への2件のフィードバック

  1. ネコ

    こんばんは、
    刑事ものミステリーもの、私も大好きですよ。
    なるほど、クリスティとコロンボは違うのですね。今、気が付きました。
    私は、女性作家(例えばクリスティ、夏樹静子など)と
    男性作家(コナンドイル、西村京太郎、など)
    とでは物事の捉えどころが違うなあ、といつも思っていました。
    そういえば、古畑任三郎は、初めから犯人が解っているタイプですね。
    こうして考えてみると、推理ものは奥が深いですね。
    占いに何かの意味があるのは、、
    「暗中模索の中、シナリオが、」本当にそうですね、
    シナリオをもらって、
    「う~ん、そうなのか、ここはこうならないのだろうか?しかし、、」
    そして、100%そうならないこともある、99%だろうか、残りの1%はどうなのか、
    、努力、奇跡、大いなるものの意志、
    占いと、大いなるものの意志とは、どういった関係か?(これは傲慢な言い方ですね。)
    まさに占いは神秘のシナリオですね。

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      ネコさん、こんにちわ。

      後半の質問は大きな質問だと思います。
      また別のところで、記事にするとかするほうがいいのではないかと思います。

      実は、私はそんなに探偵ものは読んでません。
      本当にクリスティ、ドイルのほかはテレビドラマがちょっとぐらいです。

      ただ、コナン・ドイルがシャーロックホームズのシリーズを書いた時代、本当にロンドンは大都会で、さまざまな犯罪があり得ました。アメリカのギャングの話が出てきたり、インドの宝物の話が出てきたり、そういうことが普通にあり得ることだったと思います。また、コロンボが放映された時代、ロサンゼルスは非常に犯罪が多い都市だったろうと思います。あそこの街角で人が撃たれた、というようなことが普通に会話の中で出てくるような状況があったと理解しています。

      そういうことからいうと、日本の刑事物はテレビが無理やり作ったパターンものという感じはあると思います。時々三億円事件とかトリカブトの毒殺の事件みたいな奇怪な事件もありますけど、大体が日本は平和で、ドラマの内容としてこれほど刑事物がたくさんあるのは割合としてはおかしいという気もしますし、警視庁や京都府警だけこれほど美化して描かれる必要もないのではないかとも思います。

      返信

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