将棋の藤井四段が連勝記録歴代1位タイに並んだ、ということで毎日将棋のニュースが出ている。自分は里見さんがプロにならないかなあと思っているんだけど、厳しい世界なんでしょうね。
それで、加藤一二三九段が、これも連日のようにテレビに出て、ご自身の引退対局もそうなのだけれど、解説云々でも引っ張りだこになっている。
自分が印象的に思ったのは、この60以上も歳の差があるこの加藤九段が「藤井さん」と「さん」づけで藤井四段のことを呼んでいることだった。いろいろ聞いていると、ほかの棋士の皆さんも、たいてい「藤井さん」と呼んでいる。テレビ局の記者やアナウンサーだけが「藤井君」と君付けで呼んでいる。
確かに、まだ彼は中学生で、リュックサックを抱えて歩いている姿はかわいいとも思える。「くん」づけで呼ぶ人がいても、一般社会ではそれほどおかしくはないのかもしれない。
恐らく将棋のプロの世界では、お互いがお互いを一流と認め合って、年齢とか出身とか・・・性別はまだ女性でプロになった人がいないわけだが・・・関係なく、尊敬し尊重しあっているということなのだろう。
実は、自分も会社勤めしていたころ、後輩のことをすべて「さん」づけで呼んでいた。ほかの人は大方名字で呼び捨てにしていたと思う。
それで、ある時支店長とご一緒しているときに、「おい、なんで君は後輩を『さん』づけで呼ぶんだ?」と聞かれた。私はそのときは「だって、誰が私の葬式にお経をあげてくれるかわからないじゃないですか」と答えたと思う。
会社という固定した社会の中では、自分が上司で彼が部下かもしれない。
だが、ある時リストラされてやっと再就職先を見つけたら、そこの上司はかつての部下の彼だった・・・などということはあり得る。
自分も学生の時にいろいろバイトをして、故郷の同級生と偶然一緒になったりしたことがあった。彼が上司だよね。○○さん、よろしくお願いします!ってことになるよ。
人間、最後まで見なけりゃ、何がどうなるか分かったもんじゃない。
実際当時の私のいた会社を辞めて大学の先生になった人だっている。彼のことを「おい、○○」とその時になって呼べるか?
そうではなくて、最初からお互いに自由で独立した一人の尊敬すべき人、というのがいいじゃないか。
そういう経験や理想があって、会社に入っても、年齢が下の人であろうと関係なく「○○さん」と呼ぶようにしていたのだった。
だから、将棋の世界は、厳しい世界なんだろうけど、なかなか素敵じゃないですか。将棋がすべてで、入ればみんなそれぞれに尊敬される人。自分はそういうのがいいと思いますね。上下関係があるのが当たり前、みたいに思ってる人の社会がいいとは思わないよ。そういう人が実際には多いですけど。