昨日、チコちゃんが金縛りについて説明していた。
でも、あれでは多分当事者は納得できないだろうと思う。寝入りばなの状態で睡眠が浅いと金縛りになりやすいということは分かった。一種の夢だということもわかった。怖い夢を見やすいということもわかった。
しかし、それがリアルに怖い夢であるということの説明がない。誰かが乗ってたり、大声がしたりするんでしょ?そして何百年も前からそれは変わらない。チコちゃんだって、昔々の絵を紹介していたじゃないですか。ということは夢の中で起こる現象自体は何百年もかわっていないことになる。
学者さんというものは、起こっている現象について、ちゃんと分類をしていないのではないかと思う。やっぱり一定数の被験者で、金縛りで何を経験したのか、ちゃんと聞き取り調査をして統計を取るべきだと思う。たとえば誰が上に乗ってきたケースが何件あるか、誰かの声や物音が聞こえるケースが何件あるか、それがたとえば同じ種類のものがたくさんあるのかどうか、何割ぐらいそうなのか、そういうデータがあって初めて「科学」だと思うんです。科学してないよね、学者さん。
もう一つは、霊的な現象とか、通常の法則では起こりえない何か、そもそも夢とは何か、といったことについて、科学は何も説明していないということ。そういう前提がそもそもないのです。
自分は金縛りの経験は正直ありません。ただ、このことだろう、と思ったことはあります。
20歳ぐらいから夢見については知ってたのだけれど、出来たことがなかった。しかし、絶対ここは越えないとそれ以上語れないからと思って、夢の中で自分の手を見つけるというのをやろうと思ったんです。
30代後半だったと思うけれど、それ、できました。当時の家から近くの山際のお墓のある場所を歩いていて、オレンジ色の電球が民家にともっていました。それで、そこで立ち止まって両手をかざしたんです。
それから、自分は一旦起きたと思った。いつも寝ている部屋にいて、その景色が見えているが、横から誰かが大声で話しかけている。
しかし、それは本当に起きたわけではありませんでした。その後目を覚ますと、自分は目を回していました。その後何日かの間、それまでにはないリアルな夢を何度も見ました。とても美しい日没の光とか、とてつもなく巨大な門のような建物とか。
同時に自分としては、別の体というものを初めて意識しました。ドン・ファンがエネルギー体と言ったもの、恐らくはグルジェフがアストラル体と言ったものです。
その、本当に起きているわけではないけれど、起きているのと全く同じ光景が見える状態のことについて、なぜかギリシャ語のWikipediaには言及があってプセヴドアフィプニシ(ψευδοαφύπνιση pseudoaphypnisis)と書いてありました。自分は意図的にそこに入ったから、それで意志作用が欠如している、動けないとは感じなかった。が、多分金縛りと人が言っているのはこれじゃないか?と思いました。
恐らく、人間が成長していく過程で、思春期にはその別の体、たましい、について一種の目覚めのようなものがあるのだと思う。自然な成長過程なわけです。そこで、人はそういう体の中へ偶然に初めて入るのでしょう。初めての状況なので、そこでは意志作用がない。だから動けないと感じる。そして霊的な現象も起こる。
だけど、ひょっとしたら女子高生さんとかがそういう状態になったときに、周りにチューターがちゃんといて、「叫べ」とか「体を動かすんじゃない。肉体の外に出て滑空しろ。」というような指示があったら、案外できるんじゃないかと思う。動くというのは身体を動かすことだ、というのは習慣がもたらした概念、理性の産物に過ぎない。
自分でもこれは一人の結果しかわからないわけで、また、正直大した達成もしていないのです。でも、もう少し進んだ会話は出来ると思いますよ。