占星術の起源については、文献や考古学などの研究からはよくわかっていないことが多い。しかし、おそらく占星術をやっている人の立場からすると、多分紀元前4000年ごろに始まったのだろう、ということになる。
なぜか。
ご存知のように、占星術のサインは春分点から黄道を30度ずつ区切った各部分に宮を割り当てている。最初の30度が牡羊、次の30度が牡牛、次の30度が双子、と続く。
しかし、実際の牡羊座は春分点の位置にはない。地球の歳差運動によって、春分点は少しずつ移動しているからです。
大体紀元前後に牡羊から魚に移った。キリスト教は魚の時代の到来とともに始まった。
その2000年ほど前、起源前2000年のころ、牡羊が春分点になった時代だった。大体バビロンのハムラビ王の時代、あるいはモーゼがエジプトからイスラエルの民を導き出した時代だ。
今の占星術のサインはこの紀元前2000年のものを使っている。牡羊から始まるのです。
もしそういうことであれば、占星術は紀元前2000年ぐらいのもの、ということでOKですよね。なぜさらに2000年さかのぼって紀元前4000年が占星術の発祥時期と考える必要があるのか。
少し考えてみてください。
牡羊というと火のサインのカーディナル、活発、積極性、勇敢さとかそういうイメージですよね。
でも、羊という生物にそれほどの活発さや勇猛果敢さみたいなのがあるかというと、そうも言えないように思いません?羊っておとなしい生物じゃないですか。
多分当時の中東、メソポタミアから小アジア、地中海周辺、北アフリカなどで、活発で力強い動物といえば牡牛だった。多分その時代、占星術のサインの配置の意味に気が付いた人は、春分点あたりにある星の並びに、その積極性や勇敢さを表すのにふさわしい動物の星座を割り当てた。
それは牡牛だった。
2000年たって春分点が牡羊に移ったときに、人々は星座の意味の置き換えを迫られた。牡牛はたくましい動物だけれど、富の象徴ということにしよう。アーロンが作ったような金の牡牛の像みたいな、お金持ちの金ぴかの牛のイメージで行きましょう・・・と多分そういうことになったのだろう、と、そういうことです。
考古学的な話をすると、起源前4000年という時代は、ウルのような歴史上知られている最初のメソポタミアの都市国家が栄えた時期、シュメール人の時代ということになるので、大体遠くないだろうなということになるだろうと思います。
すごい考察ですね。
では今は、みずがめ座の時代ですか?
そういわれるとすごく納得できるような気がするのですが・・
あめさん、こんにちわ。
1.まず、今みずがめ座の時代がスタートしたと言われます。これはよく宝瓶宮時代などと言われます。
2.この牡牛の考え方について、私が読んだのはエリアーデという人の著作だったと思います。
3.キリストはいろいろな意味で魚で隠喩されていました。