まずこの、「最初は生神女信仰はなかったが、異教の影響を受けてマリアが崇拝されるようになった」という考え方についてである。
少し頭を冷やして、年表を作ってみよう。
これは、時間の長さを表の横の長さに反映するようにした年表である。プロテスタントさんは16世紀にルター・カルヴァンという二人の宗教指導者によってもたらされた。このプロテスタントさんが、ざっと生神女に対する信仰、過度な崇敬、どう言う表現を使うか難しいところだけど、要するに「マリア様、お願い!」的な態度にハッキリ反対している。プロテスタントさんの教会には聖像はないし、通常白い壁であっさりした感じだ。
プロテスタントさんが反旗を翻したのはカトリックさんである。カトリックさんということで皆さんが多くイメージされるのは、たとえばミケランジェロ、ラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチといった芸術家さんの絵ではないだろうか。しかし、その絵が描かれたのもプロテスタントが起こったのと同じ16世紀である。日本人が「キリスト教」ということでイメージするのは大体1000年より後、むしろ江戸時代ごろのものなのだ。
では、1000年より前には、マリアさんへの崇敬みたいなものはなかった、ということだろうか。
しかし、自分が知っている生神女のイコンの古いもの、有名どころというのは、大体聖像破壊運動ぐらいまでさかのぼる。そう言い伝えられているものを、自分は実際に見た。間違いなくそれぐらいの時代にも、生神女は崇敬されていたのである。
さらに、カッパドキアのギョレメに修道院群が残っている。ここは、ニケア公会議にも多くの影響を与えた師父達が修行したことでも知られている。このギョレメには壁画がある修道院があるわけだが、生神女は描かれている。その最古のものがいつか、自分は残念ながら知りません。しかし、ある時を持って突然「生神女のイコンOK!」的な変化があったとは考えにくい。すぐ目と鼻の先に彼女は暮らしていたんだから、継続的に崇敬されてきたのだろう。おそらくそれやこれやがあったからこそ431年の生神女の決定があったと思うのです。
それ以前は?ローマが国教にする以前のキリスト教は地下に潜伏していた。なかなか実体のわからない部分が多い。他のところでも言ったかもしれないけれども、キリスト教は4世紀に歴史の表舞台に出てきたときには、突然すべてが完成されたものとして出現するのです。
しかし、要するにどれだけ前にさかのぼっても「生神女やその絵などという偶像崇拝の汚らわしい習慣に染まらない清く正しいキリスト教がプロテスタント以前に存在した」という証拠はどうやら世界史の中には出てこないのです。「いやいや、実は2世紀には存在していたのです」と主張することができるかもしれない。しかし、自分は思うのだが、そういう主張をしてしまうことは、要するに「キリスト教は失敗して、3世紀までにいったん滅んだのだ」と言ってるのと同じことになってしまうと思う。いやまあ、そういう主張もありなのかもしれないが・・・
マツダの社員寮で従業員が死亡 殺人で捜査 広島
9月16日 21時01分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160916/k10010689631000.html
管理人さんのブログを見て10年くらい仙台殆ど出てない
仙台どころか近辺から殆ど出てないなぁってことを痛感します
海外は無理かもしれないけど国内もっと行きたい(って水星逆行の時考えてはいけないですねw
りんねさん、こんにちわ。
マツダ社員寮の事件は記事にしてみます。
りんねさんが仙台から外においでになっていないということですか?
そうですね。いろいろ行くのはいいですよ。
自分は結局ヤフオクで11万ぐらいで競り落としたマーチに乗っています。本当は海外にも行きたいですけど。