自分は、人生で寛容というのは、実はあまりいいことではないのはないかと思うようになった。
もちろん残忍さがいいとはいわない。許せばいいのだ。
問題は、こうすべきということがある場合、衝突を回避したいがために、それを指摘しないということだ。
自分や他人が、やりたいことを助けるように他人に譲るということは、美しいことのように思える。しかし、自分や他人の意志を弱めるようなことに加担することが寛容のうちに入るなら、それは良くないのではないかと思う。自分は他人の意思を尊重する、激しく自分の意志を表さないということをしてきたと思うのだが、結局のところ自分の役にも他人の役にも立っていないのではないかと思うのだ。
もっとも、多くの人は複数の別々の慣習というものに触れてぶつかりながら生きていく人ばかりではない。人の置かれた立場はいろいろだ。
しかし、それでも、それによって生み出される実で判断することはできると思う。商店ではサービスは良いが、寛容はありえない。
優しいこと、丁寧なこと、親切なことは良い。寛容は別ではないかと思う。