水素表の話の途中だけど、違う話題。
精神的な言葉を表す西洋の言葉はいくつくあるが、spiritとsoulを取り上げてみる。これに相当する言葉を、聖書やギリシャ語などで取り上げてみる。
ギリシャ語 | πνεῡμα | ψυχή |
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英語 | spirit, ghost | soul |
日本語(カトリック) | 霊 | 魂 |
日本語(正教会) | 神/鬼 | 霊 |
関連する訳語 | 精神、精霊 | 心霊的(psychic) 心理学(psychology) |
我々は英語のspiritualを精神世界がどうこうというような訳語で訳す。その一方、spiritは霊であるという。spiritはギリシャ語のπνεῦμα (pneuma)に相当している。一方、soulに相当する言葉はギリシャ語ではψυχή(psyche)となり、日本語では往々にしてカトリックさんやプロテスタントさんの訳を使って魂と訳される。しかし、このpsycheから派生する言葉は「霊」と訳されることが多い。
たとえば、西洋の人間がpsychologyという言葉を聞けば、これはpsycheを学問することなのだ、と理解すると思う。訳を統一するのなら「心理学」ではなくて「魂学」と訳すべきなのだ。サイコキネシスは魂によって動かすこと、サイキックは魂的なこと、と訳すべきだ。しかし、その訳では日本人・東洋人にはピンとこない・・・・多分魂という訳が正しくないからだと思う。
一方、ニコライ大主教は江戸時代末期の漢学者の素養としては、おそらく極めて高い水準の訳を行った。多分spiritが神、soulが霊という訳は、実はかなり実感に近いものになっているのだと思う。だけど、多分信者の立場としても、その漢文読み下し調の訳は決して簡単とは言えない。
だけど、この訳は実は日本人には深刻な問題だと思う。
そもそも同じ概念を表しているはずの単語、同じニュアンスをうかがわせる単語が、全く別々の漢字に訳されて理解されている。その結果、日本人が「霊の問題」などと言った場合、人によって、全く違う現象や事実のことを思い浮かべている。経験的な具体性を欠いてしまって、結局その言葉からは言われている本質を理解できなくなってしまうのだ。