教会、正教会に行くと、当然のことのように受け取られていることは、「聖人の体は腐らない」「ご聖体は腐らない」「死者・生者の記憶に使った聖パンは腐らない」「ご聖水は腐らない」ということだ。本当に腐らないんですよ。そして、宝座のある至聖所には生理のある女性は入ってはいけない。
それで、教会が終わった後の女性たちの井戸端会議で、「梅干しと一緒やな」などという、いわば不謹慎な会話が交わされることになる。なにせ、ギリシャやロシアには梅干しがないからね。
当の梅干しのほうは、「生理中の女性が触ると腐る」「梅干しが腐ると家に死人が出る」などと言われている。これは迷信だという人もいるようだが、迷信だと簡単に片づけられないと思う。実際にそういうことが起こったという人は、どうやらたくさんいるらしいからだ。あなたもWebでちょっと検索してごらんなさい。いっぱいそういう投稿があるから。もっとも誰もが一様に梅干しが腐るわけではない。当方男性につき、梅をつけて生理中になることはないし、「梅を腐らしたから死人が出た」とかそういう問題でもない。なんでも梅をつけるとカビが生えた時に死人が出ると嫌だから梅干しをつけないなどという人もいるらしいが、それは本末転倒でしょう。だけど、全く関係ないということはないようなのだ。
それだけではない。土用になると梅干しを3日間外に干して、最後の日は外に出して夜露に当てるわけだが・・・別にそのように決まっているわけではないが、満月の夜干しみたいなことが言われることがある。満月に干したらどやねん?だけど、「この梅干しは満月に夜干ししました」みたいなことを言う人がいる。これって、パワーストーンのやり方と一緒じゃない?
多分、梅干しというのはアストラル体と関係した食べ物なのだろうと思う。アストラル体というのは、人間の第二の体などと言われていて、死者と関係していたり、占星術と関係していたりする。パワーストーンなどもそうなのだ。
梅干しの腐敗を防ぐ精妙な何か、成分というのか、微妙なものですね、それが生理によってもたらされる変化や人の死によってもたらされる変化を微妙に感じ取るのではないか。よく穢れなどといわれるけど、別に死人が汚いとかそういうことを言っているのではない。死人の生前の感情や苦しみやいろいろなカルマの影響が何らかの形で残留していて、それが嫌だから形見分けをした後の服は焼いたりするわけだ。
そう考えれば、梅干しの腐敗に関することは色々説明がつくと思うのである。
だけど、人々はそもそもそういう実体があるということは認めないから、科学者でそういう研究はないと思う。おい、ひょっとしてヒマラヤ水晶をいれてつけたらうまくなるんじゃないか?いや、まあ、それはわからないけれども、そういう研究があってもいいかも。
ネコです、こんばんは、
まず、お聞きします、。
「聖パンは腐らない」「ご聖水は腐らない」本当ですか?
自分が馬鹿な事をお聞きしているとは思うのですが、なぜ?と聞くのはおかしいかもしれないですが、
何をもって腐らないと表現されておられるのですか?
計り知れない次元のとらえ方をされての意味でしょうか?
「梅干し」の話ですが、
ボンヤリと読んでいたのですが、、。
記憶の彼方で思い出したことがあります。
「梅干し」が腐ると死人が出る。
これは本当です、。私が間近に見ました。
遠い記憶の彼方の事で思い出しました。
私の生家の母が、ある年の夏、実家に帰省中(いつの夏かはっきり思い出しましたが)
「今年は梅干しが腐った、カビが生えとる、
今までこなな事なかったのにわやじゃ、」と大変寂しそうな顔をして処分して
いたのを思い出しました。
その夏は、世間を悲劇の坩堝に落とした日本航空123便が、御巣鷹山に墜落した夏でした。
私は当時、子育て真っ最中、その苛立ちと実家とのいろいろな問題で
母にも優しく出来ず、「梅が腐った」と言っても、知らん顔。
母は、その年の12月、病で倒れました。正気もなく、
生易しい病気ではなく、ドクターは「もって1年でしょう」
そのとおり、一年余りの入院と手術の末、家に帰ることもなく、梅をもう漬けることもなく
亡くなりました。
あれが正気の母と過ごした最後の夏であったと、何年を経ても後悔とともに、御巣鷹に飛行機が落ちた
記憶と共に、忘れることの出来ない記憶として残っておりました。
「梅干し」の事は忘れていたのですが、この度、思い出しました。
「梅干しが腐る」あれ本当ですよ。
母は、もしかしたら自分に予感があったのかもしれないです。
母は毎年、「梅干し」を漬けていましたが、この年以外腐ったという記憶はありません。
「梅」は何かをその実に受け止めるのかもしれないですね。
あれからもう29年もの月日が経ったのですね。
ネコさん、こんばんわ。
聖パン、腐りませんね。なぜでしょうかね。
この記事を書く直前、何日か前のことです。恥ずかしい話ですが、何年も前の教会関係のものの入っているかごを見てみたら聖パンのかけらが出てきました。なんて不謹慎な。食べてしまうべきものだろうのに。
5年やそこらではありません。でも、切ったそのままの姿を保っています。乾燥はしていますよ。ですが、パンの外見をとどめています。
ご聖水はカトリックさんで言うエピファニイの日、ユリウス暦の旧暦でやっている場合は1月19日ですが、その日が洗礼祭で大聖水式が行われます。瓶に入れて病気の時などに飲んだりします。でも、これもただの水なら1年間も置いておけば普通はカビが来そうなもんじゃないですか。来ないのです。
私自身、最初に教会にいってご聖水をもらった時に神父さんに聞きました。これをずっと置いておいたらカビとかが来るのではないですか。そうすると神父さんは「あなた、知らないの?ご聖水は腐らないんだよ。」と教えてくださいました。そしてその通りになっています。
ネコさん、これ本当はもっと注目されてもいいことだと思うのです。日本中、ロシア中、ギリシャ中、グルジアでもブルガリアでもルーマニアでもいいけど、どこでも腐らないのです。「奇蹟だ!」などと言ってしまうには、あまりにも多くの場所で当たり前のように腐らないのです。
梅干しについては、貴重なご経験を投稿いただき、ありがとうございました。そうなのでしょうね。
私もよく知らないのですが、なんでも最近のスピリチュアルのなにがしかでハワイ起源のホ・オポノポノなる魔術のようなものがあります。青い瓶に水を詰めて日光にあてて飲むと浄化されるというんです。愛しているというのと同じ効果があるんですって!
わかんないんですよ。だけど、出てくるモチーフは一緒です。こっちは日光です。
そこに何らかの事実があって、初期クリスチャンはそういうことを熟知していたと考えるほかないと私は思うのです。