速度を計る時に、ある時点の回転数とか場所とかを記録し、次点の時間を記録することで、割り算で速度が出せる。
(B点-A点)/(B点通過時間-A点通過時間)
ですね。
このA点とB点の距離がどんどん縮まって、果てしなく0に近づいた時の値が、A点の速度、そうですね。
難しい書き方をするとΔx/Δyということです。
進んだ距離から、速度が求められる。
速度の変化から、加速度、重力、力が求められる。
しかし、実際の測定において、(B点-A点)は果てしなく0に近づくというものの、0になることはない。速度は、計算の結果としてのみ、存在する。それ自体として存在するのは場所である。速度はその計測の結果であってそれ自体では存在しない。
そうだろうか。
時間というのは、存在しない。昨日存在したものは存在しているわけではない。昨日というのは大きな意味での記録、痕跡としてしか存在しない。過去は存在しない。車は、ある場所にしかない。この場所とあの場所にあるわけではない。
車の速度は、距離がなくても、それ自体として存在しているのではないか?
あるいは、力は距離に関係なくそれ自体として存在しているのではないか?速度がわからなくても、力はみんな認めているよね?
実は、力だけが存在していて、空間は力から生まれているのではないか。
これは、ひょっとして学問やっている人は、当たり前のこととして認識しているのかもしれない。僕だけ知らなくて、恥ずかしいことなのかもしれない。アインシュタインが相対性理論を唱えて、その意味って実はそういうことなのではないか。
認識の問題として、距離はない、空間はないということは度々私はそういうことは申し上げているわけですが、単に物理的に空間は存在しないのではないか。空間はただの力の軌跡なのではないか。
だけど、それをどう練っていいのかわからない。