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「スピード感をもって」

今となってはおこがましいことだが、小学校のころ全校160人ほどの前で児童会の役員かなにかに立候補して、子供なりに演説みたいなのをする機会があった。
当時、自分は話し出しに「ま、」という癖があって、だんだん人がそれを笑うようになり、ついには話し出しに「ま、」というと人が笑うために話を続けられなくなって、続けて13回も「ま、」と言いかけては人に笑われて止まってしまうということが起こった。13回目に「ま、」とは言ったものの、無理やり次の話題に進めて、一応その時の演説は終わった。あまり覚えてはいないのだが、多分立候補した職には選ばれたと思う。

この時の経験は、当時にしてみれば大変ショックだった。この後も、人前で話すということはいろいろあったわけだが、「まあ」とか「えー」とか必要のない間投詞みたいなものは使わないで話すようにいつも心掛けるようになった。
それだけではなくて、「この回り持った表現は必要か?」と思う表現は極力避けて、出来るだけ単刀直入な言い方をするように、自分に対しては常にそういう意識を持つようになった。

 

今の日本語は、要するに責任回避の手段としてつかう言い回しで出来上がっている。

よくある表現に「とは」がある。
「~とは思います。」
「~とは言えます。」
本当はデータが示されて、そこから必然的に導かれる結果であるなら、「~と言えます」でよい。もし人が「~とは言えます。」というのであれば、そこにそれとは反する事実や例外的な事実などを語らなければならない。「建前上は男女は平等だとは言えます。しかし、就職などで女性が差別されることはあり得ます。」とか。

しかし、続いて言うことが何もないのに、最近の人々は「とは」を好んで使う。それは要するに「データから導かれる真実はこうなんですけど、それで私を攻撃しないでね。私は責任を取るつもりはありませんよ。」ということだ。

 

そしてそういう表現でよく使われるものが「スピード感をもって」だ。政府の人たちが国会で答弁するとき「スピード感をもって」という。「出来る限り早急に」ではいけないのか。
要するに決まった日程の中で、急ぐと言ったってなかなか出来はしないが、その中で早くしたいという心構え、ということなのだろうが、それは返事としては意味をなしていないと思う。審議や検討を尽くせば3日はかかるというのであれば、3日目に発表できるようにしたいと言えばいい。回答する、仕事をする人の「心構え」なんか聞いても仕方がない。

 

瑣末なことと思えるかもしれないが、今の政治家への信頼のなさの一つは、こういう言葉の問題だと思う。ちゃんとした日本語を使うということが、政治家は出来ていない。麻生さんは漢字が読めないから論外だが、「募集は致しませんけれど、希望者を募って」とか「花見はしていませんけれど、桜の咲いたレストラン」などというような表現も、結局それが「安倍、お前アホやろ」ということにならないところに問題がある。

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