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立派な道、立派な家

私の住んでいる家は、台所周辺は改修して新しい建物になったのだが、母屋はとても古い。毎日外を歩いたり走ったりしているのだが、目にするお宅はどこも立派に立て直していて、うちみたいな建物はなかなかない。自分がそのうち立て直さないといけないのだろうかなどとも考える。

 

また前後の道路がこれも広く作り直されている。どこも2車線で歩道がつき、交差点には右折用の車線も設けられる。これも、うちの周りだけではなく、この辺はどこもかしこもそうなりつつある。時々新しく作られた道路の横にアスファルトで舗装された道のようなものがあることがある・・・私が子供のころは、こちらのほうが道路だったのだ。

 

しかし、学校の生徒の数は、私が通っていたころの半分になっている。子供がいない。そして、それは単に子供がいないということを示しているのではなく、子供を持つような世帯そのものが少ないことを示している。以前ここで育った人たちがここに帰ってきていない。20代、30代の夫婦が少ないのだ。

 

すると、これらの立派な家には誰が住んでいるのだろう。まるで立派な家は増えているように見える。

 

それらの家は、たとえば誰か女性を誘って二人で夜中に楽しく過ごせる、という感じの家には見えない。そういう家なら、窓があって、鍵がかかり、カーテンが敷かれているはずだ。そういう家もないじゃないが、多くの家はドドーンとサッシの硝子戸の向こうに縁側があって障子が張られている。向こうは多分ふすまで仕切られた畳の部屋だ。親に隠れて若いものが、いわば悪いことができる余地がなさそうに思える。嫁さんは嫁さんで、姑さんとは違って脂っこいものの一つも食べたいだろう。すると、台所が別だといいと思うけれども、そんな家でもなさそうに見える。

実際に長男に嫁さんをもらったけれども、親と折り合いがつかず町に引っ越したなどという話は色々聞く。

 

今、震災から2年が経とうとしており、テレビ局も福島やそこから避難したみなさんの状況を特集して伝えたりしている。しかし、私が都会で暮らしていたときの感覚からすると「えっ、こんな広い家に住んでいるの?こんなに土地があるの?こんなに収入があるの?」という感じだった。被災者被災者って、何をぜいたくを言っているのだ?と思う人がいてもおかしくないようにも思える。しかし、実家に帰って見て、この辺は感じとして近いかもしれない。高度成長時代を生きてきたおじいちゃんおばあちゃんは、金や家や土地があるのだ。

 

最終的にこの家や道路は誰を利することになるのだろう。都会からおかしな資本を抱えた企業や宗教や外国人などがやってきて、買い漁ったりというようなことが起きないのだろうか。東北は震災に見舞われたがゆえに、古い体制が入れ替わって「震災があって良かった」などという日がきたりしないだろうか。

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