田舎に帰ってから、食べることについて、本当に多くの伝統があることに気が付く。クドで湯を炊いて蒸す赤飯の作り方。法事の時の煮しめの仕方。餅の付き方。野菜の調理の仕方。
その伝統には、いわば食べ物をどこでどう入手するかということも 気が付く。柿は木になる。吊るし柿は皮をむいてどうするとか、渋柿をドライアイスで渋抜きをするとか。よもぎはどこで摘んだらいいか、笹はどう処理するのか。これは畑で獲れる。これは田んぼで獲れる・・・
都会で暮らしている時、そういうことを考えたことはなかった。そして一人暮らしをしていると、だんだんそういうものは失われていく・・・もちろん、それはそれなりのルーチンというものはあるにはある。何曜日にスーパーに行って、この食材はこう買ってこう処理しておく、みたいな。都会に住んでいる野郎としては、自分は異常にまめな方だったと思う。ベランダで梅干が干してある人というのは、そうたくさんはいない。
だが、仮に自炊したとしてもどうしてもワンパターンになりがちだ。それがインスタントラーメンではなくて、ちょっと凝った味噌汁であったとしても、いったん味噌汁になったものはずっと味噌汁になってしまう。
ちゃんと食べるということ。そのために何が必要かということ。これはこれでなかなかむずかしいし 、ちゃんと受け継いでいかないといけないものなのだろう。