テレビやラジオなどでは、様々なエッセイストだとか解説者だとかが、いろいろな話をする。そして「この人の話は素晴らしい」「この人は人気がある」「この人に頼めばはずれがない」と言ったエキスパートが存在する。
相手から話を引き出すとか、絶妙な目の付け所とか、適切な解説とか、いろいろあるわけですよね。
ただ、いつも思うのだけれど、こうした人々の「素晴らしさ」というのは、「それを聞く多くの人が素晴らしいと思う」ということによって成り立っている。聞く人の中に共通の理解があって、その共通の理解の一番へりのへりを解説するから、聞いている人は自分の知っていることを少し拡張して「ああそういうこともあるのだ」と思う。聞く人もわかるからこそ、それが素晴らしいということになるわけだ。
もしそれが真理であったとしても、そして素晴らしい真理だったとしても、それが視聴者にとって全く共通の土台のないものだとすると、その番組は視聴率を取れないし、受け入れられることもないということになる。だが、その人たちが言っていることは真のエキスパート、本当によく知っている人からすると、中途半端な考えかもしれない。
それはある意味海岸だからいいのだ。陸のことは誰でも知っている。そこにみんな今いるのだ。だが海の中、あるいは沖のほうのことは誰もわからない。その人々はその隣接部分にいるからこそ、注目もされエキスパートでもあるわけだ。
もしそれが沖に出てしまうと、そういう人は浜の人から見ると「奇妙な人」「オカルト」「理解不能」「あまり触れたくない事柄」ということになってしまう。
しかし、やっぱり沖に出てみないといけないと思います。狭い門から入れ、みたいなことは結局その人が沖まで漕ぎ出してみたかどうかにかかっていると思う。沖に出るのは必ず孤独だと思う。それが成果を出すかどうかとか、そういうことはスタート時点ではわからないから。