時々、漫才の動画とかを見てる。すると、中国語の字幕が付いた動画などがある。
以前に、日本エレキテル連合さんが、「ダメよダメダメ」を何か国語かに訳されていた。各国の人に受けていた。
そこで、時々は「もしこれをロシア語にしたら」とか「ギリシャ語にしたら」というのを考えることがある。「これ、なんていうんだろ?」ということで。
ええやん。こう、ギリシャ語やロシア語の字幕が漫才の下に出るわけですよ。
Σοβαρά λες; εάν έλεγα σοβαρά, γιατί κάναμε τόσο χαρούμενοι.
(お前それ本気で言ってんのか?本気で言ってたらこんな楽しくやるわけないだろ)
みたいなの。
それで外国人がそれを見て面白いと思うかどうかですよね。
そうこうしているうちに、ある種の動画はどんなに勉強して訳しても多分面白くないことに気が付いた。
たとえばNON STYLEさんで「安心せえ、峰うちじゃ。これ言ってみたいねん。」みたいなやつ。西洋の剣は両方刃がついてるし、峰うちはないよ。それは日本の時代劇を見てるという前提です。
オードリーさんも微妙だと思う。たとえば春日さんが本を書いて題名を「火鉢」にするとかいうようなのは、芥川賞の「火花」があるから成り立っている。でもそれは外人は知らないし、世代が違うとさっぱりわからないということになると思う。中国・台湾はまだ隣だし、割と日本のこともニュースになるのかもしれないから多少はわかるかもしれないが、ギリシャ人にはわからないのではないか?
結構、ある時代で、日本のテレビを見てる人でないと分からない、というネタがたくさんある。
お笑いの文化を共有するのは、こういう部分が多いから難しいんだろうと思う。
ただまあ、チュートリアルさんが「冷蔵庫」「バーベキュー」とかをやるのは、題材はごくごく小さくて、あとは演技でもっていってるから、ちゃんと翻訳すれば、多分外国でやっても受けるし、何年も後の人がその演技を記録しておいて全く同じことをやったとしても、多分演芸として成り立つ。
「古典」って、そういうものでないとダメですよね。古典落語って、江戸時代にできてても、今聞いて楽しめるもの。