どうも気になって仕方がない。何かとんでもないものに足を突っ込んでしまいそうで、やりたくないような気もするのだが、しかし気になる。最近作ったいくつかのホロスコープのアワールーラーと事件に関係する星がどうも無関係に見えない。こういうものがあってほしいとも思う。具体的なものを当てる、という方針から言えば「いま、これがテーマであるはずだ」という指標があってくれるに越したことはないのだ。
大体、しかしだ。アワールーラーというのは、どう見ても十干十二支九星に見える。七曜だというだけだ。占星術そのものとは別の文化に見える・・・いやいや、西洋占星術がそれを伝えていてその一部なのだろうけど、でも別物に見える。
現在ホラリーの占星術師は、アワールーラーがホラリーの表示星と一致するか、三要素が一致するかなどを見て、「読むべきか、読まざるべきか」を決めている。何にも一致しなければ、「いま時間悪いし、やめとこか」ということになる。
なぜだ?
しかも、読むか読まないか決めるだけ?
例えば金星が支配する時間というのは、東洋人が本日ただいま戊辰二黒の日というのと同じようなものであるはずだ。そして、今は金星といわれているが、要するにヴィーナスが・・・ということは、中世ヨーロッパでは悪魔の代名詞になってしまったけれども、もとはメソポタミアのヴィーナスに相当する神であったイシュタールが・・・支配する時間だったのだろう。その時間は友愛や恋愛、芸術に関することなどを始めるのに良い時間、ということになる。
すると、金星の支配する時間には、当然友愛や恋愛に関する質問や出来事があってほしい。そこでそういう星がホロスコープ中で重要な位置を占めているかチェックしましょうということになったのだろう。
ほらほら、別物じゃないか。たとえば五黄の掛が回ってくるときには仏さんの出来事がありそう、縁起悪そうだからやめとこう、ということをやっているように見えてならない。
だけど、たとえば九星を考えれば、本日二黒の日であっても、四緑が何の役割も果たしていないのではなく、二黒が中宮に位置するのだから兌宮に位置してそれなりの働きをするのを知っている。
アワールーラー、日曜日の6時から考えると、1時間ごとに次のように推移していく。
しかし、これで月が支配してもそれは月が中心の宮に来たというだけで、どこにあってもそれなりの意味があって、そのときの相を表している、と考えるべきなのではないか。
そう考えて、たとえば殺人事件のホロスコープをずっと見ていくと、被害者の星はどうも一定の位置に偏っているように見える。
ただし、ひとつだけアワールーラー、いわゆる曜日の概念で十干十二支などとは全く違う点がある。それは、現代の世の中において、曜日が完全に定着していること。月曜日の10時に毎度ミーティングがあったとしても、それが必ずマルドゥークかなんかの守護を受けていたとしてもびっくりするようなことではないということだろう。