私の住んでいるところは、必ずしも金で生活が動いていない。子供のころから慣れ親しんだことだけど、とても不思議に見える。「あんたのところ、大根があるかね?」と近所の人が言って、ないというと持ってきてくれる。それなりにお返しはする。近所づきあいは深く、自給自足に近い。
黒豆を炊いて、鉢に山のように盛って食べられる。
ここは産業が少なく所得が少ないかもしれないが、一面ではとても豊かである。
黒豆は町に住んでいると高級食材で、旅館で高い料理を頼むと松葉に2個ほど刺して出てくる。大消費地である京都を控えて丹波の黒豆といえばすごい宝物のように見える。
だけれども、大豆の類は、昔から田んぼのあぜ道に植えて、当たり前に取って食べていたものだった。すごく手をかけないと収穫できないというような類のものではない。
今、町でスーパーなんかに乾物の黒豆なんか売っているのはなかなか見られない。小豆なんかもそうですね。
しかし、レンズマメとか、そういう類の豆は都会でもそこそこあるのである。豆に限らず、外国の食材がさも簡単に手に入る。
これって仕方ないことなのか。
本当は、どこの家庭でも小豆や黒豆を入手できて、日本の食卓にはなくてはならないもの、みたいな感じになっているべきではないのか?