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憐れみに負けてしまわない

自殺に関係するニュースを3つ見た。

一つは、横浜での原発事故避難の子供に対するいじめの問題。大きくニュースになっているから皆様ご存じでしょうが、いじめに遭った子供に対して学校や教育委員会は何もしてやらなかった。

このいじめに遭ったお子さんは、何度も死のうと思ったけれども震災でたくさんの人がすでに死んだのだから自分は生きると決めた、と書いた。

 

もう一つは、京都で貧困で介護に疲れた男性が母を殺した裁判で、その後男性がどうなったのかを報じたニュース。お母さんに「もう最後やで」で呼びかけて親を殺した男性の裁判は裁判官を泣かせた。しかし、結局この男性はその後自殺したらしい。

 

もう一つは雨宮まみという40歳のコピーライターが死んだと言うニュース。この人は40で死ぬみたいなことをいろいろなところで書いていて、数日前までいろいろなメディアに姿を現していたが、今日訃報が流れた。死因等は何も書いてない。

 

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自分が中学校の時の担任の先生、理科の先生が私たちに話してくれたことがある。
「よく、自殺した人のことを取り上げて『その人の気持ちがわかるような気がする』みたいなこという人がいるけれども、そんなことがわかっちゃいけないんですよ。死にたいだなんて、そんなことはいけないことなんです。」みたいな。

その先生は正しかったと思う。

「おまえ、一体何の経験があってそう言うんだ?」と言う人もいるかもしれない。でも、経験は関係ない。ある人は破産し、ある人は離婚し、ある人は重病で生きるか死ぬかをさまよい、ある人は戦火を逃れ、ある人はあと10mで津波にのみ込まれるところだった。

では、津波にのまれそうな人が、「おまえの重病なんかたいしたことはない」などと言えるか?経験は関係ないのだ。他人から見て不幸な経験をしていない人は真実を求めてはいけない、などということはない。

 

たとえ、その母親を殺して裁判で憐れみをかけられた被告のかわいそうな男だったとしても、死にたいと思わなければ死ぬことはできない。「俺は生きる価値はない」と思ったとしても、それで座っているだけ、寝転んでいるだけでは死ねない。腹も減るしうんこもしたくなる。積極的に「さあ、死にましょう。ひもを用意しましょう。毒薬を用意しましょう。線路沿いに飛び込めるところに行きましょう。」というような、行動を起こさなければ死ねない。

自殺というのは意志の問題なのだ。
本人が「死ぬ」という選択をしているのです。それは文字通り「自分を殺すこと」であって、座っていてなんとなく死ぬかのような「自死」などという言葉で紛らわしてはいけないものだ。
この一瞬「死ぬ」という選択をするから、「ではホームセンターでひもを買いましょう」という次の行動が決まる。もし、悶々としているだけなら、ホームセンターには行かない。ほんの小さな選択が、次の行動を決め、その結果が次の行動を引き起こす。ひょっとしたらその瞬間に「あなたがどうしても必要なんです」という人に突然出会うかもしれないじゃないか。

 

思うに、多くの場合、我々は憐れみの感情に負けてしまっているのだと思う。
憐れみは世間一般では肯定的なものとして捉えられている。それが結局「津波にあった人が重病の人を貶める」的なことにつながる。「かわいそう」もまた、負の方向の偶像になり得る。

もう本当の最後の最後だと思っていても、自分の「ブレーメン」は持っておこう。もう生きる理由がない?だがブレーメンにはまだ行ってないじゃないか。

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