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はじめに言葉があった

福音書を読んだ人は沢山いると思う。

イエスがこういったとか、こういう奇蹟をしたとか、そういう部分はわかるだろうと思う。だけど中にはわからない部分もあると思う。

 

多分、このヨハネの冒頭の「はじめに言葉があった」というのも多くの人にとってわからない部分の一つだろうと思う。

 

世間によくある解説ではlogosというのは論理とかいう意味だという解説である。~logyといえば日本語で~学と訳されますね。biology生物学。bioは生、logyはlogiaで学問だ。したがってヨハネの冒頭部分は西洋の論理的な社会を代表するかの考え方である云々。昔々神様がこの世を作った時に論理的に作った云々。

 

この考え方はどこにも行きつきません。

 

彼らは自分たちが見たまま知ったままに「はじめに言葉があった。この言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」と言ったのです。

ヨハネはイエスの行ったことをすべて書くとこの世の図書館に収まりきらないだろう、しかし、このことを書くのはあなた方のためであると言っています。ある意味、あなた方がわかりそうなことだけを加減して書いているのですよ、と言っているわけです。使徒の間ではもっと難しいことがあるのかもしれない。でも、この福音書が向けられた人に向けて「あなた方のために特別のメッセージでわかりやすく書いてますよ」と言っているのです。それが1億年の昔のことで炭素測定法で調べないとわからないことであるはずがない。

 

ヨハネが言いたかったことは、目の前のことなのです。これは言葉です。それが「言葉だ」というとき、そこには既に解釈が含まれる。言葉であるということは、誰かがそれを発しているのを見ているということです。しかしその言葉を発している誰か・・・父ですが・・・それは結局見た人はいない。言葉が発せられているという事実を見るときに神という事実を見るのだけれど、神自体は決してみることができない。

 

そういう方向で探してください。間違った方向で探すと結局何も見出すことはできません。

 

これからも少しずつ書きます。

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