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縁起 (2)

考えておかなければならないのは、依るものと依られるものの数的な関係、経済的な関係である。

 

ある人が従業員を雇った。一人の優れた技術者だったものが、二人の会社になった。

二人の会社は、30人の会社に商品を納めている。

30人の会社は1万人の会社に商品を納めている。

 

稲わらは1株植えるとちょっと握るぐらいの束になる。

その株が一反ずらっと植わって田んぼになる。

1軒の農家が数反の田んぼから稲を刈って、数十、数百の農家が一つのカントリーエレベータに米を貯蔵する。(うちは違いますけど・・・)

 

わかると思うが、一人の人間が一人に依っていて、その人間はもう一人に依っている場合、結局束ねている人間は2人の人間を束ねないといけない。そして彼らを束ねる人間は敏腕の一人のトップを含む、数人を束ねないといけない。依るものと依られるものの関係は一対一ではない。それは必ず累乗の関係、10倍、10倍、10倍とか2倍、2倍、2倍の倍々関係になる。3人が4人になっても大した違いはない。30人にならないと大した意味がない。

この倍々関係というのは、実際にあらゆる物理学の法則の中に見ることができる。元素表もそうだし、音階もそうだ。

 

多分仏教はそういうことを考えなかった。多分お釈迦様の仰った縁起は、神の創造のうち、キリスト教が言う「闇」より低い部分に対して、正確なマップを用意していた。ほんの小さな無明や認識作用が、この多様な世界を作っている。複雑に見える世界も単純な原理に帰結できる。

 

自分としては、仏教がなぜ「仏教の思想は縁起なのだ」と言わないのか、とても不思議だ。般若心経だって、結局は縁起のことを言っている。縁起の各々の支には自性はないのですよ、それは空なのですということが般若心経が訴えていることである。もしそうなら、まず般若心経を唱える前に、縁起のそれぞれの項目について説明をすべきである。皆がそれをすでに知っているということが、般若心経の前提なのだ。その前提を皆知らないから「般若心経は何を言っているのですか」と皆聞くことになる。

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