たとえば、今の自分の状況で、宝くじが当たるとか、何かのひょんなことがひょんなことになってしまって、1億円ほど、いやいやそんなに多くなくていい、1000万ほど手に入ったとしたら、あのお金を払って、これを直して・・・とか。そんなこと考えても仕方がないことなんだけど。
いやいや、ちょっと待てよ。
お前、この仕事、済んでないだろ。もし天からの思し召しがあって誰かが助けてくれるんなら、こっちの仕事を助けてくれるほうが現実的なんじゃないの。1億円手に入ったらこちらの仕事は放りだすのか?・・・いやまあ、丸ごと別の人に頼んでしまうという手もあるかもしれないが・・・
ハリストスは何と仰った?自分がしてほしいと思うように他人にしてあげろ、だったね。
去年ハーベスタ(稲のもみをわらから取る機械)が壊れた。じゃ、20万か30万かが手に入れば中古のハーベスタを購入して、それでお米を作って販売して何年かでこういう利益が上がるはずだ。だからハーベスタがあるといいな。
それとも、1千万ほどあったら、田んぼを丸ごと他の人に作ってもらって自分は他のことをするか?
もし第三者がその人に何らかの手伝いができるとしたら、どちらがいい?
もちろん、その人の環境にもよるのだろう。私自身の場合、いままで殊更に農業を一生懸命やってきたなどとは言えないから、ハーベスタがいいとは言えないかもしれない。
だけど、やっぱりその時にその人が一生懸命やっているものを手伝うのがいいと考えるべきかも。助けてあげても失敗するかもしれない。それでも、そのときにその人が「これはやらなきゃ」と思っているものを手伝えるのがいいのかもしれない。
こんにちは、ネコです。
(宝くじが高額当選すると人生が変わると世間でいわれるのはそういう事なんですかね。)
キリストは言われました、行って自分がしてほしいと思うことを他人にしてあげなさい。
本当にそうですね。
私はとりあえず、ハーベスタを持って行って(トラックに乗せていって)手伝います。
一時しのぎかもしれないけれど、手伝います。
その時、その人が一番困って立ち往生していることに手を貸すのが良いかもしれないですね。
ネコさん、こんにちわ。
単純に決められるものかどうかわからないけど、あると思うんです。
何かに失敗して見知らぬ街で一文無しで放り出されてしまった。そのときに、とりあえず何とか生きていかないといけないから、コンビニでバイトしようと考えるのか、それとも何かで新しいことを始めようと考えるのか。失敗する前に20万の給与だった人は月20万を基準に考えるだろう。失敗する前に事業をやっていた人だったら、なんとか1000万手に入れて別の事業をやろうと思う人もいるかもしれない。
でも、ひょっとしたら、20万だった人に1000万あったらそれも面白いのかもしれない。
使い方を知らなければ、結局失われてしまうとは思うのです。
その辺は自分としてもなんとも結論が出せないところではあります。