占星術を頼みにするとき、私たちは、こちら側の願いを持ってアプローチする。多分占星術に限らず、なのだけれど。
この仕事につけますか?
この人とうまく行きますか?
このセーターはどこにしまったでしょうか?
どこでセーターが見つかるか?ということに対して、実家のタンスの中です、とお答えしたとしても、そのセーターが見つかるかどうかは別問題だ。親が捨ててしまうかもしれないじゃないですか。あるいはいつ見つかるか、という問題もある。
さらに、質問に全く関係のないことがわかってしまうような場合もあり得る。ネットでやり取りをしている私は、本当は依頼者が私を欺いていたとしても確認する方法はなく、もどかしいところではあるのだが、依頼者が何かのことで非常に怒っているという可能性もあり、そうしたことがホロスコープに示されることもある。あるいは・・・これも占星術に限らずなのだけれど・・・地震が起こるかもしれないとか、そういうことが暗示される場合もある。
そこで、占星術師は、あるいは依頼者は、一定の態度を要求されることになる。
依頼は、彼とうまくやっていけるかどうか、だ。ホロスコープは大地震が起こって明日世界が滅びると言っている。だが、彼との質問に限ってみれば、そう、君たちはうまくやっていける。
明日地震で世界が滅びるのなら、彼とどうこうなど関係ないと考えるのか。
それとも、彼とうまくやっていけるのなら、世界が滅びようが関係ないと考えるのか。
自分は、今のところ「彼とうまくやる」という態度で占星術をして、明日世界が滅びることは依頼者には言わないという考え方をしている。
これは国によっても違うかもしれない。アメリカ人は自分の意志を重要視するだろうが、日本人は環境を大事にする。
そういう観点からすると、マクベスなんかは、よくできた話だと思いますね。魔女たちは嘘を言っていないんだからね。