色々思うことがあるんです。
まず、国会議員さんに配られる文書費月100万円。30日に選挙があって31日に1月分ということで100万配られた。おかしいじゃないか、と維新の議員さんが声をあげて、各会派同調した。
しかし、維新さんはお金を寄付するというのだけれど、これはおかしい。議員さんは簡単にあちこちに寄付しちゃいけないと思うんです。それは利益供与になるし、できるだけ議員さんが使うために国民が税金から出しているわけでしょ。
そして自民党では茂木幹事長がそのお金は返還させると仰いました。しかし、制度的に決まっていて、その議員に配られたものを、派閥のトップが「お前、返せ」と言っていいのか。
制度がおかしいなら制度を直せばよい。でもちゃんと決まっているその制度に従って受け取った金を、強制的に別の人がああしろこうしろ、と言っていいものかどうか。
木下富美子都議。無免許で運転して人身事故を起こした。都議会は木下議員に辞職勧告を2度も行っている。ま、木下さんも悪いには悪いのかもしれないが、とにかくやめろやめろの大合唱だ。都議会の様子がテレビに映っていたが、満場一致で可決された・・・誰一人辞職勧告に反対しなかった。
でも、それでいいのか、と思う。
これは都民ファーストさんは「辞めろ」という権利がある。都民ファーストの議員として当選したんだから、ふさわしくないと言ってもいいかもしれない。小池さんも応援したし、選挙運動だって都民ファーストのメンバー・支持者がお手伝いしてやってきたと思うんです。
だけど、木下議員は法律的には間違ってはいない。選挙で選ばれた人はやめなくてもよい。
例えば時の政権が非常にわるいことをしていて、戦前の国家総動員法みたいな法律が施行されていたとする。ある議員がそれに反対したとして、その時点の法律で犯罪と思われることをしたとする。これは投獄されても、民主主義のために、議員の身分がはく奪されないようにできているわけだ。偉い政治家はみんな投獄された。ガンジーも投獄された。金大中も投獄された。
それを、都議会が全会一致で「やめろ」ということは正しいのか。「木下氏のしたことはよくないが、法律でそう決まっているのだから、出処進退は本人に任せる」ではダメなのか。任期が切れた時に選挙で落として、その後裁判にかけるということではダメなのか。
そういえば、丸山穂高氏は北方領土で酔っぱらってしまって、周囲から議員を辞めろと散々言われたが、辞めなかった。その一方で在任期間中にこの文書費100万円の問題は取り上げていたのである。ところが、いま騒ぎになっても、どのメディアも「この問題は丸山前議員が取り上げていたものですが・・・」とは言わない。
民主主義というのは、「いったん決まったものには従うが、後は自由だ。個人の意志を尊重する。」というのではないと成り立たないと私は思う。
ほら、ソクラテスは「法律で決まっているから」といって毒杯を飲んだわけじゃないですか。
それが、メディアが煽って、多くの人が「あいつはダメだ」みたいなことをいえば、そちらの方が正論であるかのようになってしまう、というのは自分は民主主義ではないと思うんです。
今回の小室さん・眞子さんの騒動でもそれは思う。仮に非難されるべき点があったとしても、こんなにみんなで一斉に叩かなければならない理由がどこにあるのか。
日本人は、民主主義は無理じゃないですか。
同調圧力、「和を以て貴しとなす」が強すぎる。政治は確かに合意のもとに進められている。その合意は「和を以て貴しとなす」「分をわきまえろ」的なものなのではないか。
何かそういう気はします。