自分は輪廻転生が少なくとも誰にでもあるとは思っていない。自分については、考えても仕方がないとは思ってきた。
ただ、最近いろいろ「前世の記憶」なるものを持っている人について聞いたり、検証したりしているテレビ番組を見たりした。
そういうケースでは6歳ぐらいまではそのケースを覚えているらしい。そして子供が話す前世の話が、実際に存在した別の人間の人生と一致するケースがあるから、びっくりするのである。そして、6歳ごろを超えると、多くの人がその記憶を忘れてしまう。
それで、今更だけど、少しは自分についてもそういうことがあったらいいな、と思うことがある。
何でも自分は生まれてきたときに最初から目を開けて「ここはどこだろう?」というような表情でキョロキョロしながら生まれてきたそうだ。そして、ずっと話さなかったらしい。言いたいことはあっても、3歳だか4歳になるまでずっと話をすることが出来なかった。
繰り返すが、自分では前世の記憶などあったとは思ってはいないのです。ですけど、小さいころこんなことはあった。多分幼稚園ぐらいの時だろう。
どこかに家族で出かけた。兄弟・両親・おじおばの夫婦などで6人か7人ぐらいだっただろうと思う。どこに出かけたかは覚えていない。
そして、のどが渇いたということになったのか、喫茶店のようなお店に全員で入った。そして皆レモンスカッシュを注文した。しかし、私だけはホットの紅茶を注文した。
その時に自分は、なぜかわからないけれども「こういう場所に来たら紅茶を注文するのが当たり前だろう」と思っていた。
家族は私だけ紅茶が欲しいと言っているのに戸惑った。自分は覚えていないのだけれど、冷たいものがあまり好きではない家族もいるのに、全員レモンスカッシュにしようと思ったということは、多分夏のことだったのだろう。
レモンスカッシュでなくていいの?おいしいよ?しかし、私は紅茶がいいと主張した。
後で考えてみると、これはとても不思議なことのように思える。そういうテレビ番組を見ていたのだろうか?そのようなことで、幼児が「こういう場所で紅茶を飲むのが当たり前」みたいな信念を持ち得るものだろうか?
真相はわからないのだけれど、ただ、もし自分が誰かの生まれ変わりだったとしたら、多分西洋人のような人なのだろうと思う。紅茶だけではなく、いろいろな点でそう思うことがある。
前世は私はあると思います。
私自身は3~4歳の小さい頃から東京の下町、隅田川周辺の地名を聞くと胸が締め付けられるような懐かしさを感じました。(東京に親戚等は一切いません)あと火事を見たことがないのに異様に恐れ、常に火事から逃げるシミュレーションを脳内で繰り広げていました。なので自分では前世は東京大空襲で命を落とした人間だったのかな・・と思ってました。
あと20年くらい前、飯田なんとかさんという大学教授の書いた本を読んで、きっと前世はあるんだな、と追確認できました。書名忘れましたが・・。魂の創造??どうだったでしょうか・・。
あめさん、こんにちわ。
そうなんですよね。
直接前世がどうこうという説明はできなかったとしても、そういう経験があるということが問題だと思います。