先週、ディズニーの「モアナと伝説の海」を見た。海や島の美しさ。これがCGだということが残念なぐらい。そして圧倒的な音楽。おむつをしたような幼いモアナが海に選ばられるシーンとか、一人旅立つシーンとかジーンと来てしまって・・・。女神テ・フィティもとても印象的だった。
例によって、主題歌である「どこまでも ~ How Far I’ll Go ~」もあとで何回も聞き、ギリシャ語版やロシア語版も見つけ、みたいなことをしていた。
https://youtu.be/Sb3i-tIFvXo
物語の概要はこのようなものだ。
昔世界を作ったテ・フィティという女神がいたが、その心を魔法の釣り針を使っていろいろな動物に化けることのできる半神のマウイが盗んだ。マウイの行き先を様々な魔物が邪魔し、火山と溶岩の化け物であるテ・カが襲ったときにマウイは釣り針とテ・フィティの心を海に落としてしまい、ある島に幽閉されてしまった。
モトゥヌイの島の人はサンゴ礁の外海に出ることを禁止しているが、テ・フィティの心がないために周辺の島々は徐々に滅びに向かっている。しかしすべてが滅びる前に一人の人が海に選ばれマウイを探し出しテ・フィティに心を返しに行く、と伝えられていた。
村長の娘モアナは幼いころ海に選ばれたが、村長はモアナが海に行くことを禁じた。しかし、島では魚が取れなくなり、ヤシが枯れていく。モアナは伝承を信じるお婆さんの助けで、自分の祖先が昔は航海をしていたことを知り、一人外洋に旅立っていくのだった。
苦労してマウイを探し出し、釣り針を見つけて奪い返し、テ・カの襲撃をかわしてテ・フィティの島に行くとテ・フィティはいなかった・・・そして心を納めるべき岩がテ・カの胸にあることにモアナは気が付く。心を失ったテ・フィティが溶岩の怪物になってしまっていたのだ。
この前の記事「ものすごい達成」の内容のことを自分は考えていた。
達成したものしか、その景色を見ることができない。にもかかわらず人はいう「これこそが正しいのだ!」
だが、実際にお前はそこへ行ってみたのか?お前自身見たではないか!なぜ疑うのだ?
旅立つときには誰もお前と一緒に行くとは言わない。お前は一人だ。自分を信じなければならない。ひょっとしたらたどり着けないかもしれない。何もかも映画のようにうまく行くとは限らない。いや、達成できない人のほうが多いかもしれない。
そのことを考えていて、実はこの歌も同じテーマを扱っていることに気が付いた。
これは同じテーマを言っている。メタファーなんだ。
彼女はすべての村人や父親の反対を押し切って、一人でまるであてどもない航海に出なければならない。テ・フィティを見つけ出すまでは、確かなことは何もない。全部徒労に終わり、無残な死を迎えるかもしれない。
子供でも楽しめるアニメになっているため、あっさり見逃してしまっているのだが、実際にはモアナ自身も海と友達で、波を味方につけている。彼女が歩みだすと、紅海の奇蹟のように海が道を開ける・・・いわば半神のような存在である。テ・カが心を受け取ってテ・フィティに変わる。だが、相手は神だ。命なのだ。そしてその神は心を失っている。
失われた心を納めるべき場所に納めるとき、命が輝きだす。
実は物語全体が一つのメタファーだった。映像がとても美しいので圧倒されてしまうが、本当はたぶんそれ以上の話がもともとあったはずなのだ。
この話ってもともとポリネシアに存在したのだろうか?あったと思いたい。
一応ギリシャ語バージョンも張っておきます。別に日本人に関係ないじゃん、と思われるかもしれないけど、なかなかのクオリティです。ちゃんと韻を踏んで意味もしっかりしているし、英語バージョンなんかと比べて聞いても悪くないと思いますよ。
https://youtu.be/F-DZxrhUX6E