私は兄とASCが同じです。以前はそういうことは普通にあることだと思っていたが、いろいろ見ていると珍しいケースかもしれない。兄弟のASCは2つぐらいずれることが多いのだろうと思う。
しかし我々は同じで、確かに子供のころはある程度均質で、またライバルでもあった。母は小さいころあまり年の離れていない我々をことさら平等に扱うようにした。そういう家庭の運命もあったのかもしれない。
兄と私は、しかし違う人生を送った。だが、ASCがサインを移る際には、確かに何かそれらしい外面的な変化に襲われている。そして兄にその変化は先に来て、何年か後に私に来ている。でも当然のことながら、兄のASCが移ったあるサインと同じサインに、私も似たような年代に入ることになるわけです。
自分が今まで占断をする際に、非常に大雑把に、たとえばASCが射手に入ったときにはその時期にはスポーツをしたり法律に関わったり精神的なことや医療のことに関わったりする、みたいな判断はできるわけです。単に放蕩したりする人もいるかもしれない。
自分や兄が移った先のASCの象意が一応それらの星の表すものの範疇にあるとはいえ、中身は非常に違う。プロ野球の応援に奔走してしまう人もいれば、難しい哲学にはまる人もいるかもしれず、あるいは弁護士として生活する人もいるかもしれないわけだ。しかし生まれた環境もほとんど似通った私と兄の間での違いというのはどうみたらいいのだろうか。
そうすると、おそらくその進行するASCを支配する星のホロスコープの仲での意味が、それに反映されているのではないか、と思ったのです。反映されてるってのは大げさかもしれない。そもそもその人のホロスコープの中で、その配置に星があることによっておおかなと運勢としてそうなるというのは読み取れるわけだから。
兄はミュージシャン、ギター弾きとして生きた。そして、射手の支配星である木星は第5ハウスにある。
つまり、彼にとってASCが射手に移動した期間というのは、射手でもとりわけ芸術的側面、つまり楽しいことをする時期、音楽をする時期だったわけだ。そして実際そうだった。
それに対して、自分の木星は第7ハウスにある。自分は確かにその時期、なるほど思想的なこと精神的なこともあるのだけれど、そういうものを伴って家庭のことに重点を置く期間だったと思う。
もっとも例が少ないので、もう少し確認していくのがいいのかもしれない。芸能人さんたちでも見てみましょうか。しかし、ホロスコープ上、そうなるのは当然と言えば当然なのです。そもそも第5ハウスの木星の意味、みたいなのをちゃんと読み解けば、この人はこういう傾向があると分かる。そしてそれが出てくる時期が、当然年運の指標がそれに関係する時期なのだから。