高校野球のシーズンが来て、みんなこの辺の人は高校野球を見ている。若いあんちゃんが一生懸命野球やってるのは、見てて気持ちがいい。
しかし、いくつか「これはどうなの?」と思うことがあった。前から言われていることなのかもしれないけれども、今年はクローズアップされてことさら気になった。
一つ目は、前橋育英の骨折ホームラン事件。4番バッターさんが、5月に受けた四球で左手が骨折して、前日の練習でも全く痛みが引かない。
ところが、苦しげにバットをもって打席に立ったかと思うと、ホームランを打って、そのおかげで前橋育英は勝った。
これを、高校野球を主宰している朝日新聞だが「信頼応えた4番」などと美談にして記事にした。
これは、多分高校生のスポーツとして、はっきりいけないことだと思う。ひょっとして、それで病状が悪化して、野球どころか人生を棒に振るかもしれない。そこまでしてやる野球とは何なのか。
もう一つは女子部員の参加。女子部員が甲子園に入れるようになり、マネージャーとして紹介されるようになった。が、これはベンチまでなのだそうだ。グラウンド、土のあるところに女は入ってはいけない。
自分は女人禁制ということに対して、一般的にあってはダメだというつもりはなく、宗教や酒造り、梅干しづくりの伝統がそういうのなら、別に長年続いてきたものを否定するのはおかしいとは思う。相撲は今はスポーツだけど、一応神事の側面があるから、まあ仕方がないことにしよう。
ということは、ひっくり返せば、高校野球というのは一種の宗教なのである。先の朝日新聞さん、ちょっと左がかった新聞で、人権だというと、あったかどうかわからないようなことまで目くじらを立てて書き立てる新聞社さんなのに、こんなところで宗教を振りかざして、おかしいと思わないのだろうか?
三つめは、仙台育英の殺人プレーである。大阪桐蔭との試合で、一塁手中川がベースに足をのせてボールをキャッチしたところ、後から駆け込んできた仙台育英の渡部という選手が思いっきり中川の足を蹴り上げ、中川選手は車いすで甲子園を後にすることになった。準々決勝では監督はこの渡部という捕手を欠場させ、その理由も「彼を守るため」とあいまいな発言をしている。これだけ聞くと、多分監督は渡部選手が悪いことをした、と認めていると思うのです。
特にこのことについて謝罪があったということも聞いていないし、インタビューなどでも「あれは偶然でした。中川君にはすまないことをした。」というよう話は一切ない。
もし一塁に足をおいて、セカンド側に体を伸ばした一塁手が走ってきたランナーによって偶然蹴っ飛ばされることが頻発するとしたら、野球というスポーツは成り立たないと私は思う。つまり、これは多分仙台育英の選手の間にはそういう暗黙の了解があるのだろうと思う。「ここは偶然に見せかけて、相手を怪我をさせても、誰にも分らないはずだ。勝利のためにはそれぐらいのことはしても良い。」
プロ野球というものを見ていても、その動く金は他のスポーツに比べてけた違いに大きく、その犯罪もほかのスポーツに比べてけた違いに黒い。
今回の高校野球を見ていると、何かそもそも野球というのはちゃんとした人間がやってはいけないスポーツなのではないか、とすら感じるのです。何か、倫理的なものがきちんと確立できないなら、高校野球はやめたほうがいいのではないか。