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戦前の人は信じてはいけない

終戦記念日が終わって、談話とかいろいろあった。テレビは毎日のように終戦関係の報道をした。

そして、その現場を知っている人たちは、一様に「二度と戦争をしてはいけない」という。なかなか彼らの話というのは、目の前に遺体が転がっていてどうこうというような、真に迫るものがある。

そしてそれは、要するに戦争をした日本が悪かったのだ、的な結論に導こうとする。

 

戦わない。武器を取らない。それが正しい道だ。そうだろうか。

 

第二次大戦がはじまった当時、インド・ビルマ一帯はイギリスの植民地だった。中東もイギリスの勢力圏だった。フィリピンはアメリカの植民地だった。ベトナムやカンボジアなどはフランスの植民地、インドネシアはオランダの植民地だった。アフリカもイギリスとフランスが半分ずつ支配していて、南アフリカのようなオランダ領もあった。今はカナダやオーストラリアはまるで国みたいな顔をしているが、要するにあそこも戦前はイギリスの領土だった。

つまり、第二次大戦前、独立国はほとんどなくて、西欧列強に全世界が支配されていた。そして、その支配は過酷なものだった。日本だけが、地理的なものか、ちょうど英国・米国・ロシアといった国々の広がりのぶつかり合うところにいて漁夫の利を得たのか、独立を保っていた。

 

開戦時の国の指導者の判断として、戦わないという選択肢が現実的なものであったかどうか。国際条約で、日本の戦艦などの保有数を他国は制限しようとした。当時戦わないという選択をして、武器を廃棄し、イギリス様、アメリカ様、よろしくお願いしますと頭を下げればよかったのか。

そういう選択をした国がある。アヘン戦争の時の清である。そして彼らは、邪悪なイギリス人たちに好きにもてあそばれた。

チェンバレンもそういう選択をした政治家だと思う。ナチスが台頭してくる。勝手に兵をルールとかアルザスに進めてくる。だが、平和が大事なのだ。協調しようではないか。多分彼は彼で立派な政治家だったのだろう。結果ヒトラーはヨーロッパ全土を支配下におさめた。

日本も武器を捨てて平和を選べよかったのか。自分はそういう選択が正しいとは思えないのです。

昔は、平和が大事だというのを信じていた。今でも平和がいいに決まっているが、好き勝手に欧米の連中に虐殺されたり、奴隷みたいな扱いを受けるのが正しい姿だとは思えない。

 

それで、テレビとか見ると葛藤するわけですよ。この、本気で自分で修羅場を潜り抜けたような人が、戦争は間違いだった、もう軍備を持ってはいけない的なことを言っていて、それはそれで説得力があるように見える。

だけど、その人たちは本当にその戦前の責任ある立場で自分が決定を下せる状況ということを考えたうえで、その発言をしているのかどうか。あなたが総理大臣だったらどうします?民主主義ではその可能性がある。たとえば優秀な人間が皆戦闘で死んでしまって、あなたにその席が回ってくるかもしれない。戦争をするかしないか、継続するかしないか、その決断をあなたも下さなければならない。戦前の状況において、戦艦を廃棄し航空機開発部隊を解散しますか?

そうでないということを受け入れるということは、戦争を生き残って、やれあれは悲惨だった、あれは間違いだったと言っている人々は、要するに無責任なクズ野郎どもだ、ということになる。

 

どちらが正しいのだ?

 

と、自分は結局のところ戦争を生き残った人々の言うことは聞いてはいけないと判断せざるを得ないと思う。

彼らの言うことには少なからず嘘が含まれている。責任ある立場で物事を言ってはいない。考えてみれば、終戦前に生きていたから無条件に正しいと信じる理由なんかないといえばないのだが。資料を見るとか、現地に行くとか、もう一度自分で調べなおさなければならない。

我々戦争を知らない人間として、それは悲しくつらい選択だ。

戦前の人は信じてはいけない」への3件のフィードバック

  1. 灸太郎

    今の反戦平和運動をしている人の大半は戦争を戦った人でも、
    戦争に至った過程を体験した人でもなく、戦争被害を受けた人なんですよ。
    だから戦争に対するイメージが実際に戦った人たちと解離がある。

    テレビなんか見ていても、我々が子供の頃と違うのはそのへんにあると思います。

    ちなみに戦前のアジアの独立国は日本とタイだけです。
    タイは緩衝地帯としてどくりつこくだっただけですけどね。

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      灸太郎さん、こんにちわ。

      仰るようなことなのだろうと思います。
      自分としては、「戦争を経験した人の戦争観には、何らかの間違いがある」という前提で考えるべきだ、というのが言いたいことです。
      私たちの年代、戦争が終わって10年、20年の人々にとって、まだまだ戦争の影響というのは色濃くあった。
      その中で、こんなに大変だった、こんなに悲惨だった、やってはいけない、という概念が固定されてきた。しかしそれは、嘘か、少なくとも一面的な見方だということがはっきりしてきた。
      ひょっとすると今の若い皆さんよりも我々の世代の方が問題があるのかもしれない。
      しかし、それはもうやめようと思います。それは私にとっては難しいことです。今後たとえばひめゆりの生き残りの皆さんが反戦運動をしているところに「でも、あなたが仰っていることは一面的な見方です」「あなたはそれでインドネシアに行ってみましたか。」「アメリカがアフガニスタンに行ったときに、ちゃんと彼らのために戦争を止めに行きましたか。」と反論することになります。

      返信
  2. 灸太郎

    保守系の人たちがいろいろ活動して、東京裁判史観に毒されない
    戦前状況を発掘して本や映像にしてくれるようになって久しいですね。
    それが、ようやく国民に定着してきました。従来の左翼史観、
    東京裁判史観の影響力は急速に失われつつあると思います。
    今回の安倍談話もそれを象徴するもののひとつでしょう。

    俯瞰するのにみなさんにお勧めしているのは
    西尾幹二先生の『GHQ焚書図書開封』のシリーズ。
    総論として『天皇と原爆』ですね。

    そこで紹介されている焚書された戦前発行の本を読んでいると、
    われわれが学校で学んだ、反戦平和主義者たちが主張する史観とは
    全く違った世界が見えてきますね。

    返信

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