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殺さない国

19歳の新しく配属された巡査が、上司の巡査部長を拳銃で撃ち殺すという事件が起こった。

もちろん、撃ち殺した若者が悪いということになるだろう。一方でこの若者は未成年である。未成年が配属されてすぐさま上司を殺した。誰が責任を取るべきかという話になったとき、残念ながらこの上司には責任があるということになるだろう。

またこの若者の態度は、恐ろしくもあるが、大胆なところもある。
彼はためらいなく撃ったと供述し、巡査部長の急所を正確に撃ち抜いている。
多くの場合、本当に相手を憎んでいたとしても、人はそこでためらったり震えたりすると思うのである。上司とかそういうこともあるが、まず相手は人間である。猫を殺すのでも嫌だと思う。自分は虫でも本当は嫌である。
たとえば戦争とか、あるいは警察であっても任務で拳銃を打つときには、多分大胆さが要求されると思う。ぎりぎりの状況では一発で仕留めなければならない。もしそこであなたが撃ち損じればあなたも死に、ひょっとするとあなたの国も亡びるかもしれない。相手もまた両親も子供も奥さんもいる一人の実直な男かもしれないが、それでも撃つときは撃たないといけない。
この人は悪いことをしたには違いがないが、なかなか誰にでもできないことをやった。

圧倒的に権力や財力の差がある場合、ある意味殺してしまえば、それで殺人罪で捕まって刑務所に入ることになったとしても、殺した側の勝ちだ、ということはあり得ると思うのです。
たとえば一生逃げて暮らさないといけない状況とか、学校でも社会でも完全につまはじきにされてしまう状況は起こりえる。あいつを殺してしまえばこれは止まる。自分は刑務所に入るだろう。だが、全般的な状況から見て、殺しさえすれば解決する、というようなことはあるかもしれない。

 

日本では刀剣や銃の所持は禁じられている。そして軍隊もない。戦争は禁じられている。

過去にはテロもあった。あさま山荘事件もあり、オウム真理教で警察長官の狙撃と言った事件もあった。しかしそれらは優れた警察や自衛隊などの力によって鎮圧され、今は誰かが武力をもってことを企てるということがない。

それどころか、哺乳類や鳥類の、あらゆる殺生が罪になる。動物愛護法がある。猫を殺したと分かると、罪に問われる。鳩に矢が刺さっているとニュースになる。誰もがあらゆる美食を食べながら、殺すということに手を染める人はいない。

 

いま、安倍政権の政権中枢の人たちは、あらゆることを「ない」と言い張っている。首相秘書官が公文書に残っているのにもかかわらず「会っていない」と否定した。自分は、そういう会談の文書が出て来れば通常は諦めると思うのである。本当にあっていないなら、県や市の文書の偽造だと訴えるだろう。それもしない。していないと強弁すれば逃れられる、とタカをくくっている。

財務省は公文書そのものを書き換えようとした。何をしても権力や財力のある人間は最終的にとがめだてられることはない。仮に今セクハラ疑惑の福田事務次官が更迭されても、おそらく今までの給与の貯金で、かなりの資産はあるだろう。どうせ、我々が四の五の言ってもあちらはエリートのいいおうちで、ご子息ご令嬢が習い事をして進学校に通い大企業でそこそこのポストに就くのに心配は要るまい。

政治や金持ちが自浄作用がないということになったときに、戦前は多分軍部が勝手に行動を起こした。たとえば五・一五事件である。犬養首相に「問答無用。撃て撃て。」といったとかなんとか、伝えられていて、そのセリフは議論を否定して暴力に訴える、まさに民主主義の否定だということでよく取り上げられる。
五・一五は軍部の人間だったが、江戸時代以前は一般的にそれはあったと思うのです。「おぬしに恨みはないが死んでもらおう」というやつですね。
刀や銃で解決する良くはないのかもしれないが、逆にそういうことがあることによって、政治家は、それだけの覚悟や潔白さが求められたのではないか。一切の暴力がないことによって、いくらでも不正や、不正と言わずとも目に余る傲慢な態度がまかり通るとしたらどうなのか。

 

というわけで、恐ろしい事件ではあるものの、単純に「今頃の若者は・・・」みたいな話で済ませていいものか、ちょっと考える。

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