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なにともわからないもの

「どこともわからないところに行き、なにともわからないものを持ってこい」

これは、レフ・トルストイの「エメリヤンの太鼓」で王様がエメリヤンにいうセリフである。エメリヤンはふとしたことでとても美しく、賢い、ひょっとすると魔法使いのような不思議な力を持った奥さんをもらうのだが、王様はなんとかしてエメリヤンの奥さんを奪い取ろうとエメリヤンにさまざまな無理難題を吹っ掛ける。ところがエメリヤンは妻の協力を得てどんな仕事でも楽々仕上げてしまう。そこで、王様の側近たちは、エメリヤンが絶対できないことをあれこれ考えた挙句、どこともわからないところに行き、なにともわからないものを持ってこいと命じるように進言するのである。あるいは、このセリフはトルストイ以前にもロシアに諺としてあったものかもしれない。

 

だんだん、この言葉が意味を帯びてきたように思う。本当に、一生、どこともわからないところに行き何ともわからないものを得ようとずっとがんばっている。それが大事なものだともいえる。だけど本当はそんなものはないのかもしれない。エメリヤンが途中であった兵士たちがエメリヤンに答える。「俺たちはずっとどこともわからないところに行こうとし、何ともわからないものを得ようとしてきたが見つからない。だから俺たちはあんたを助けられないよ。」

 

お前、何がほしい?

金か?安楽な生活?誇りか?名誉。力。能力。家族。健康。幸せ。何が幸せなの?

 

たとえば、金持ちになりたいとする。大金持ちに生まれついた人が一旦貧乏になれば大金持ちになるということがどういうことかわかるかもしれないけれども、年収500万ぐらいの世帯にしか住んだことのない人が、年収2千万とか1億ほしい、「金持ちになりたい」というのは何がほしいのだろうか。見えているのか。5万円の背広が20万円になったら満足か?掃除機をかけるのを誰かほかの人がやってくれることか?多分1億あると、戸締りもちゃんとできる家でないといけないだろうと思う。毎月セコムか綜合警備に支払いがあるのが満足な生活なのか?

 

「これが欲しい」「こうなりたい」と願うことができたなら、その願いは半分かなったも同然なのだ。むしろ、普通の人にとっての問題は、「こうなりたい」と願うことができないことだと思う。

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