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交通法規

中央線のない道路を時速60~70kmで車が行きかう。

自分は自動車の運転歴が浅いし、肉体的な恐怖感というものは完全にぬぐえない。左側を走っている限り、対向車が真正面からぶつかることはないはずだ。理屈の上ではそうなのだが、ふっと何かの間違いでどちらかがハンドルを切れば、おしまいだ。

もし、全く交通法規というものがなくて、時速100km出せる機械を何人もの人が勝手に運転していたら、そこらじゅうで車と車がぶつかるだろう。そうではあるのだが、全く交通法規というものがなかったとしても、何人もの人が道路を運転するうちに、暗黙の慣習とでもいうのか、ある程度の決まりはできるのかもしれない。しかし、それにしても交通法規はよくできていると思う。人間の細かな感覚からいえば、これってどうなの?と思うようなこともたくさんある。時速60kmのところを59kmで走らないといけないのか、62kmで走ってもよいのか、70km、80kmで走ってはいけないのか、いろいろある。あるけれども、ざっと交通法規を知っていて大体守っていれば、まるでレールに乗っているかのように目的地に到着できるのだ。

 

人間の世界認識というのは、交通法規を守って運転しているドライバーのようなものだ。

右側を走ればぶつかる。道路を走るときは左側を走らなければだめですよ、と教わって、自分でも事故を起こすことのないように左側を走る。だが、左側を走るということは、教わったことであり、自分がそのように意志して守っていることだ。そうすれば、安全に、ほかの人と衝突することなく、正常な人間として生活していくことができる。

 

自分で今の世界を選んでいる。自分が今の世界を今の世界にしている。目の前にあるものがある、そのときにそのものがあるということはとてもリアルなことだ。たとえばあなたが蛇だったら。そこに温かいものがある。そこのものが動いている。そこからこういうにおいが漂ってくる。それが蛇の世界だ。だが、多分蛇はそこに椅子があるとか、コンクリートのブロックがあるとか、そういうふうには認識していないだろうと思う。

人間だけが、そこにブロックがあると考える。それは人間がそうしているからだ。だが本当はそれだけがすべての事実ではない。時速100kmで右側が走れないというわけではない。

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