おこがましい言い方だけれど、自分は今まで頭がよかった。理性的な人間だったと思う。
本当はわからないんだよ。でも、少なくとも子どもの時に成績は良かったし、まあいい大学も出してもらった。
ただ、ある意味合理的なものを受け入れるということも理性的ということだが、あれこれ一見他の人にもちゃんとわかるように筋道を立てて考える、説明するというのも合理的なことだ。
理性的な人間というのは、ありもしない仮定というのを検証しないと気が済まない。
それが必要な場合もある。1000年に1度の大津波というものを想定するから、安全な原発だとか、数十メートルの堤防みたいな話ができる。
次の投球が、外角高めか内角低めか、それぞれの場合を考えておくということが有効な場合もある。
だが、それがマイナスの場合もあるのだ。買ってきたキャベツの中に虫がいた場合にはこうする、と考えなくてもいい。
それが、「キャベツの中に虫がいるのが気持ち悪くていやだ」と本人が考えているのなら、そういう感情的な反応が良くないということはできるだろう。しかし、そうではない。別に怖がっているわけでも気持ち悪がっているわけでもないのに、理性的な人間はいちいちそういうことを並べてみる。
その人が優しい人間なら、いちいち並べてみるというのは、わかりやすいとか、丁寧とか、良い印象を与えるかもしれない。ああ、こいつはよく考えているな、と思われるかもしれない。
だが、本当は多分それはいらないのだ。