前にも一度書きかけたことがあるが、自分が車で聞きたい内容を自分で朗読して録音するようにしている。
少し前に車のカーステレオを付け替えた。それは、もともとこの車にはナビがついていたのだけれど、どうも内容が古いらしくて、時々とんでもない場所を走っていることになっていたし、それになぜかわからないが暑くなるとラジオが入らなくなったからだ。それでもこのナビは、CDを一度再生すると録音して全部覚えていてくれる、などという特技はあった。現在のカーステレオは前のカーナビみたいにCDを全部覚えておいてくれたりはしない。だが、CDのデータに収まらない音楽データなどは、USBメモリーにmp3で保存しておけば順次再生してくれる。
今自分は雑多な本を読み漁ったりはしていない。自分の読むもの、自分の思考を自分で選びたい。自分の考えが現実を形作る。自分の思考を生産的に使いたい。語学を学ぶというのもその理由だ。
人の発する言葉は、その理解や存在を反映する。どのような本であれ、書かれた本はそれを書いた人の存在を反映する。仮に素晴らしい文学作品であったとしても、そしてそれが世間で高く評価されていたとしても、それは、一人の人間が書いた本に過ぎない。その一人の人間のレベルを残酷に反映する。多くの人が評価する本は、多くの人と同じところにいる人が書いた本である。それがいいとは限らない。
自分にとって意味のあるものを、効果的に考えたい。それは単に思考でそうするだけではなく、自分の普段は表面上には出てこないいろいろなところにそれを反映させたい。頑張ってそうしているのではなくて、リラックスして、何か楽しいことをしている時とか、おいしいものでも作っている時、自分の奥深くにその思考を届けたい。
で、夜静かになってから、時々Audacityというフリーソフトで本を読んで、それをmp3に録音し、USBに入れてカーステレオに差し込んでいる。
これは、やってみると、絶大な効果があります。聞いている内容は自分が音読しているんだし、一度は知った内容なんですよ。いや、むしろ繰り返し読んだはずの本です。だけど、「あっ、そうなのか」と考える瞬間が結構ある。言葉が別のところに自分を連れて行ってくれます。
わかる気がします。まず、何回読んでも読むたびに新たな発見のある書籍、というものがあります。やはりそれは生き方や死に方や考え方など、物語ではない本に多いです。まあ物語でも数年経って読むと変わるものもありますが。
そして次に、声に出して読むと新たな発見がある、というのもあります。黙読だと脳内のイメージで変換されていたような言葉を正確に発音する事でストンと胸に落ちるみたいな感覚。
朗読した自分の声を聞くのは、学生時代教科書を朗読して再生してました。やはりこれもよかった。
あ!息子に勧めてみようかな…。
最近はそこまでしたいという本には出会えてませんが、小学生に読み聞かせをしているので絵本は読む姿をスマホで撮影してチェックしてます。たとえ絵本でも、なるほどな、と思える本、自分にはピッタリ来なくて なんだかなぁ と感じる本と様々あります。
なんにしろ、黙読とは違う発見てありますよね。
あめさん、こんにちわ。
ほうほう、いろいろやっておられるんですね。小学生に読み聞かせの姿をスマホでチェック、なかなかすごいような。
しかし、共感いただける方がおられて良かったと思います。